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女性活躍妨げる見落としがちな盲点とは

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ランクアップ
岩崎裕美子代表

“長時間労働体質”の会社を辞め、(株)ランクアップを立ち上げた岩崎裕美子代表。目指したのは、なによりもまず、離職の引き金となった長時間労働のない会社だ。それは順調にクリアした岩崎氏。だが、なぜか女性社員のムードが暗い。女性が幸せに働き続けられる会社を目指しながら、なぜそんな事態が起こったのか…。インタビュー二回目では、女性が幸せに働き続けられる会社づくりの奮戦プロセスをお届けします。

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粘りの末に理想の化粧品をつくりだす理想的なスタート

起業に際し、岩崎氏がまず着手したのが「圧倒的に差別化した製品開発」だ。売るものがなければ商売にならないのは当然だが、「差別化した製品」でなければ、また前職と同じ、長時間労働に陥る…。危機感を持ちつつ、持ち前のバイタリティで数多の化粧品製造メーカーを訪問した岩崎氏は、何度も玉砕しながら、ついに理想の化粧品をつくりだす。

苦労の甲斐あって、製品は着実に消費者に認められ、売り上げも順調に伸長。業績は快調に拡大する。立ち上げ期には、残業も少しあったが、終電まで働いていた前職と比べると「昼です(笑)」という午後8時前には、全員が職場からいなくなる。至って健全な労働環境のもと、岩崎氏の起業は、理想に近づき、うまくいっているかに思えた。

研修で発覚した思わぬ事実

ところが、衝撃の事実が発覚する。2泊3日の社員研修。「あなたが会社に貢献できること」というテーマで、社員が話し合う時だった。「そんなこと考えられない。認められてないし、貢献なんてできない…」。そういって女子社員が泣き出したのだ。長時間労働なし、ノルマもなし…。前職のことも踏まえ、社員には申し分のない労働環境を提供しているつもりだったが、まるで正反対の社員の本音が明るみになったのだ。

「かなりショックでした。私は研修に参加していなかったのですが、主催の方から電話があり、すぐに現場に駆けつけました。長時間労働をしなくていいし、ノルマもないのに、なぜ社員は暗いんだろう。以前から何となく不満のようなものは感じていましたが、まさか、それほどまでに社員に不満があるとは思っていませんでした。ワンマンだった私は、長時間残業をなくしただけで、会社のビジョンも示さず、社員のやりがいも考えていなかったんです…」と岩崎氏は当時を振り返る。

幸せに働き続けられる会社への再スタート

女性がいつまでも働き続けられる会社を目指し、前職での経験を活かし、十分に職場環境は整えたはずだった。ところが、それだけでは「働き続け」られても「幸せ」にはなれない。まさかの盲点だった。それでも岩崎氏は、ショックを引きずることなく、専門家のアドバイスも受けながら、すぐに軌道修正する。最優先にしたのは、社員に方向性を示すための価値観の共有だ。「挑戦」。もともと岩崎氏の中には宿っていた精神だが、初めて全社員の前で公表する。これが、女性が真に「幸せ」に「働き続けられる」会社への大きな一歩となった。

「起業にあたって、確かに長時間労働はなくしましたが、私がしたのはそれだけだったのかもしれません。なんでも私が決めていたので、社員はいろいろ言いにくく、やらされ感があったのです。だからいつもシラケたような空気が充満し、暗いムードになっていたのだと思います。『挑戦』というスローガンを掲げたことで、自分もやっていいんだ、というムードができ、徐々に活気が出始めました」と岩崎氏。水を得た魚のように積極的に挑戦する社員がいたことで、風土改革も加速。社員の思わぬ才能を見出すことにもなり、岩崎氏の“介入癖”は自然になくなっていった。

それまで、制度という意味では十分に整備されていなかった同社は、この事件を機に、しっかりとした土台構築に注力。人事評価制度も制定し、あいまいになりがちだった評価を明確にした。人事異動も増やし、産休や育休による欠員時の柔軟な対応が可能な体制作りも強化した。社長と社員のコミュニケーション機会も増やし、気軽に改善案を提案できる仕組みもつくった。

紆余曲折を経たが、いまでは、産休・育休制度もしっくりと風土になじみ、43人の社員中、ワーキングマザーが21人、その内管理職は7人と「女性が安心して働き続けられる会社」として、岩崎氏の理想に大きく近づきつつある。定時は17時30分だが、仕事が早く終われば17時に帰ってもいいという制度も機能し、定時どころか定時前退社も可能なほど、業務効率化も進んでいる。

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いまでこそ、全員がイキイキ輝く職場だが…

足かけ、8年。アンチ長時間労働を発火点に理想を抱いて起業しながら、ここに至るまでにはこれだけの歳月を要した。これを長いととるか短いととるかはともかく、覚悟をもって臨んでも、女性が幸せに働き続ける会社を実現するのは、一筋縄ではいかないということだ。それでも、岩崎氏自身が、41歳で高齢出産し、産休・育休制度を活用し、いまもバリバリとトップとして会社をけん引している事実は、働く女性のロールモデルとして、なによりも大きな“成果”といえるかもしれない。

理想に会社の次に目を向けるのは海外

見事に会社を理想に近づけた岩崎氏。だが、チャレンジ魂の塊の同氏は、こんなところで留まらない。ここまでは化粧品事業で辿り着いたが、これからは新たな分野へも積極的に進出する。文字通り、「女性が幸せに生きる社会をつくる」ことを実現する企業として、大きく飛躍、「ランクアップ」を目指す。

「化粧品事業はおかげさまで軌道に乗りましたが、女性を幸せにすることをテーマにこれからはさまざまな分野にも挑戦していきます。次に考えているのは海外展開です。社員にもどんどん新しいことにチャレンジしてもらい、前へ前へ進んでいきたいと思っています」。

長時間労働をなくせばいい。そう思って会社を立ち上げたが、女性が幸せに働き続けるためにはそれだけでは足りない。女性が「幸せに働き続ける」ことを考えれば、当然、そこに「やりがい」を欠くわけにはいかない。要するに、女性がいかにその力を発揮し、それが会社へ、社会への貢献と直結するのか。そこが、女性がいつまでも輝き、幸せに働き続けるための肝といえそうだ。

次回第三回では、実践編として「女性が幸せに働き続ける会社のつくり方」をテーマにお届けします。

◇第一回「残業厭わぬOLが、なぜ残業ゼロ会社を起業したのか」はコチラ


【会社概要】
maNaraホットクレンジングゲル| 公式 マナラ化粧品会社名:株式会社ランクアップ
設立:平成17年6月10日
所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座3-10-7 銀座東和ビル7F
資本金:10,000,000円
代表取締役:岩崎裕美子
事業内容:オリジナルブランド「マナラ化粧品」の開発および販売


優秀なほど正社員が損になる時代のスマートなキャリア設計とは

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正社員減少が加速する本当の理由
BFI代表 安田佳生氏

優秀な正社員はゆるくリタイアしなさい--。40億の負債を抱え、会社を倒産。ドン底に落ちながらも独自の視点は失わず、常識を疑い続ける変人・安田佳生氏。新刊「自分を磨く働き方」では、「働く意味」という永遠のテーマに解を示しつつ、正社員神話にとどめを刺す刺激的な提言を放っている。会社の裏表を知り尽くす氏だからこそのメッセージは、ふんわりと正社員に甘んじているビジネスパーソンの耳に、鼓膜を突き破る“奇声”に聞こえるのか、それとも覚醒へのアドバイスとして届くのか…。

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いまだに正社員信仰が根強い理由

年功序列や終身雇用制の崩壊が叫ばれて久しい。人口が減少局面に突入し、社会や産業構造も変質。「正社員」という雇用形態を維持する前提は、とうの昔に崩壊している。それでも、いまだ根強い、大企業神話と正社員神話。なぜ、多くのビジネスパーソンは、いつまでも幻想にしがみつこうとするのか?

安田氏の見解は明快だ。「求人情報からしか職を探さないからです。求人情報の中に全ての仕事があると思い込んでいるのもかもしれませんが、あれはごく一部。その中から、親が喜びそうな企業、知っている企業を選んでいるのでしょうが、もはや大小問わず、定年まで社員の面倒をみれる企業などありません。ただ、じぁ、どうすればいいの? となった時に、正解がある問題じゃない。だから、右肩上がりの時代の成功事例としての大企業、正社員というものが、安定につながるということで、選択してしまうのでしょう」。

正社員でい続けた方がいい人・辞めた方がいい人

昨今、大企業で次々と大リストラが行われている。まさか気づいていないハズはなく、知らぬふりをしているだけなのかもしれない。それとも、「自分には関係ない」、と言い聞かせているのだろうか…。経営者でもあった安田氏は、そんな事なかれ主義の正社員信者の横っ面を叩くように、生々しい事実を提示する。

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「実は、正社員ほど搾取される働き方はないんです。給与以上に稼ぐ人もいる一方で、それ以下の人もたくさんいる。頑張っても報われない働き方が正社員なんです。実際、月に何百万円も稼ぐのは、決まって正社員じゃない雇用形態の人たちでしょ。もしも正社員にこだわるなら、いかに給与ギリギリのラインで帳尻を合わせて働くかがポイントじゃないでしょうか。その意味では、優秀な人は正社員契約から解放された方が確実に年収は上がります。能力を儲けに最大化できるワケですから。逆に、仕事ができない人、つまり、会社にとって『赤字』の人は会社員にしがみ付いた方がいいでしょうね」。

ぬるま湯正社員にはなんとも痛烈なアドバイス。さらに優秀な社員にとって、正社員であることがマイナスとは衝撃的だ。だが、確かに月給制の正社員というシステムの中では、多少の成果給や賞与があったとしても、“割り損”であることは確かだろう。さらにいえば、すぐれた能力を有効に活用できる雇用形態に切り替える方が、費用対効果もよさそうだ。そうはいっても、現実には、優秀な社員は強力な引き止めも含め、辞めない傾向にあるのもまた事実だ。

不安なく正社員を辞める方法

「それは、なんだかんだいっても正社員=安定という思い込みがまだ根強いからでしょう。それにフリーになれば、やはり会社の看板を背負っていた時のようにはできないのでは、という不安もあるのかもしれません。ですから、いきなり辞める必要はないんです。ゆるく辞めればいい。例えば3年で年収の半分を副業で稼ぐという目標を立て、それを達成したら辞める、とかですね。これからは、間違いなく、優秀な人材がどんどん会社を辞め、正社員自体が減っていくと思います」と安田氏は、ズバリ予測する。

かなり大胆だが、決して荒唐無稽には聞こえない働き方の近未来予測。最新刊ではそのタイトルにあるように「自分を磨く働き方」がこれから重要なると説く安田氏。そうした働き方こそが、正社員減少時代に有効だからだ。では、どうすれば、そうした働き方が実践できるのか。

インタビュー後編【「好きを仕事にする」ことが重要な本当の意味とは】では、その実践のポイントを中心にお届けします。


yasuda5<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)

1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。

 

松村淳平が明かしたあのメディア閉鎖の真相とこれから

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無難に生きるなんて、停滞どころか、衰退だ
WEAVEST代表 松村淳平

2014年、新卒でグループ会社社長に就任し、主軸のバズメディアをわずか1か月でPV1000万越えを達成するなど躍進させた松村淳平(25)。ところが、10ヶ月後には突然、閉鎖を決断する。まさかの急失速にみえたが、内情は違っていた…。決意も新たに新事業構築に全力で突き進む松村に1年半ぶりにインタビューを敢行し、「あの時」と今とこれからを直撃した。

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バスハウス閉鎖の真相

「バスハウスは閉鎖する」。2015年3月末、一室に社員を集めた松村が発した言葉に全員が絶句した。無理もない。後発ながら、バズメディアの命綱となるPVを怒涛の進撃であっという間に増大。わずか3か月で3500万PVを達成し、快調に突き進んでいるさ中の発表だったからだ。

「目指すのは日本一の会社になること。その実現のために本当にバズハウスでいいのかと模索していた。数字は順調だったが、競合も強く、2番手、3番手で続けていても日本一は目指せない。そうした思いが最終的には撤退の決め手になった。僕が事業責任者なら、バズメディアというものをトコトン追求してもよかったかもしれない。でも、日本一を目指す経営者としては、これは違うと判断した。もう一つは、僕からの社員への本気度のメッセージ的な意味合いもあった」と松村は当時を振り返る。

社員には刺激的過ぎる驚きの撤退劇。とはいえ、代わる優れたアイディアがあったワケでもない。バズメディアに変わる新しい事業の柱は、撤退を決めてから具体的に考え始めたのが実際のところだ。それほどの電撃的な撤退決断だったともいえる。松村が、新たに目を付けたのはSNSマーケティング。インスタグラムやツイッター、YouTubeを複合的に自在に使いこなし、販促やPR等に活用するビジネスモデルだ。

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「20代の僕にとってSNSは、普通に使っているごく身近なもの。ゼロベースから事業を立案する中で、肌感覚として『いける』と思ったのが理由ですかね。バズハウス撤退を決めた後は、他の事業も閉じ、この事業にフルコミットしています」と松村は、バズハウス立ち上げ時と同様にいま、多くの時間を新事業に注ぎ込み、爆速ペースで数字を伸ばしている。

準備段階ながら、現在、松村が目標に設定する数字は、松村らしいビッグな数値目標だ。それでもYouTubeでは、開始1か月で早くも登録者3000人を突破するなど、快調に数字を伸ばし、バズハウス立ち上げ時と同様の進撃をみせる。すでにスポンサーを獲得するなど、ビジネスとしても着々と地盤を固めている。

→ JUNPEI TV

経営者として見据える次なる一手とは

もっとも、この新事業で松村が描く全体像からすれば、個人での数値目標達成は、ごく一部分でしかない。目指すゴールは、とてつもなく壮大だ。現在、自身が先駆者として突き進むその先に見据えるのは、SNSによる、“スター発掘プラットフォーム”の構築。松村曰く、「EXILEのLDHのネット版のイメージ」。その実態は、SNSを駆使して、ネット発の国民的スターを作り出し、LDHのようにピラミッドを構築、タレントの序列をつくるイメージだ。

「まずは、自分が設定した数字を達成し、SNSからでもスターになれる道のりを築きあげる。誰にだって、歌手になりたいとかダンサーになりたいとか夢があったと思うけど、大人になっていつの間にか諦めている。それを、より手軽に実現できるひとつの道として、いま突き進んでいるSNSでのビジネスを大きな形に集約したい」と松村は、とてつもなく巨大な目標を大胆に公開し、その実現を力強く公約した。

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「若者は腑抜けたことを言っている」、「会社は学校じゃねぇんだよ」と同世代の若者をぶった切り、自らを極限まで追い込んでいた松村。バズハウス撤退を「失敗」と指摘するなど、大口ゆえか外野から厳しい声も聞こえてくるが、松村はまるで意に介さない。

「無難って衰退でしょ」、で前進あるのみ

「20代は転んでなんぼ。何度転んでも起き上がれる。僕にとっては、大きな目標を立てることもそれを実行することもつまずくことだって何とも思わない。強がりでもなんでなくて、事実として、経営の大先輩もたくさん失敗している。でも、それでダメになるどころか、むしろそれを糧にそれ以上の成功を収めている。だから、致命傷さえ負わなければ、何の問題もないし、前へ進むためのプロセスでしかないんです」と松村は、涼しい顔で言い放つ。

若者の勢いというより、図太くたくましい経営者。そんな堂に入った発言だが、まだ25歳。同世代は、失敗を恐れる以前に失敗しそうなことは最初からしないという、無難の塊のようなスタンスの者も少なくない。有言実行ゆえに、そうした無難に生きる20代へは、松村は舌鋒を緩めようとしない。

「無難って、いい感じのように思われているかもしれませんが実際には停滞にもなってない。衰退ですよ。なぜなら、何もしなければ、どんどん下から追い抜かれるし、新しいものだってどんどん出てくる。気が付いた時には手遅れになります。だから、早く転べ。失敗を恐れている20代に強く言いたいですね。年をとればとるほど転ぶと傷が大きくなりますから」。

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2014年4月に新卒でサイバーエージェントグループ会社の社長に就任。事業の軸だったバズメディアで数字をたたき出しながら、電撃撤退を決断。現在は、自らが背中を見せつけるように、SNSを駆使した新事業構築に邁進する松村。「撤退が英断だったかは、まだ分かりませんが、今はこの新しい事業に全力で邁進します」。自ら突き進む者だけが前へ進める。そして成功をつかむ。松村の背中ごしに、何かは判らないが、ハッキリと道筋がみえるのは気のせいではないだろう。

→前回のインタビュー 若者の「ユルさ」をぶった斬る23歳社長の狙い

<プロフィール>松村淳平
早稲田大学卒業後、2014年新卒入社。内定者の時からアルバイトを開始し、経営陣に事業アイデアを送り続けた結果、入社後すぐに子会社WAVESTの社長に就任。バイラルメディア「BUZZ HOUSE(バズハウス)」などのサイトを運営する。

「好きを仕事にする」ことが重要な本当の意味とは

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成熟社会で仕事に生きがいを見出す働き方
BFI代表 安田佳生氏

正社員神話崩壊に引きずられるように、働く目的が希薄になる中で、ビジネスパーソンの活気も全体に低迷ムードが充満する。今後、正社員のさらなる減少を予測する氏が、そんな時代にあって、イキイキと働くポイントに挙げるのは、<媚びない>、<群れない>、<属さない>。これまで正社員に求められていたものとは真逆のスタンスだ。インタビュー後編では、氏が推奨する「自分を磨く働き方」の実践ポイントを中心にお届けする。

インタビュー前編→ 優秀なほど正社員が損になる時代のスマートなキャリア設計とは

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安田流、自分を磨く働き方とは

「自分を磨く働き方」。このフレーズに真新しさはない。これまでもそうした姿勢で仕事をしてきたビジネスパーソンも少ないかもしれない。しかし、安田氏が提言するのは、そうしたものと似ているようで違う。自分を磨くためのアプローチの仕方が、いわゆる優等生的ではないのだ。

 「例えば、なにか強みを持っている社員がいるとします。でも、会社員として働いていると、それだけをしているわけにはいきませんよね。雑用や部下の育成などに時間を使う必要がある。正社員にはそうしたことも暗黙の中で業務に含まれている。そこを、自分の強みを磨ける時間を確保できるよう上司や同僚に交渉するなり、自分でねん出するんです。ということは、上司に必要以上に媚びたり、群れている様ではうまくいきません。必ずしも会社を辞める必要はありませんが、正社員でい続けるにしても、組織にガッツリと属さない方が、より仕事での柔軟性もできますから都合はいいと思います」。

企業人として、組織の論理に反するような仕事へのスタンス。ともすれば正社員を辞めてフリーランスになることを推奨しているようでもあるが、真意はそこにない。重要なことは、「いかに仕事を楽しむか」。それができなければ、働く意味も生きる意味さえもなくなるということだ。

「売り上げ40億までいった会社を潰して、経営者じゃなくなってから私は働く目的を見失ってしまいました。脱力感の中で、いろいろなことを考える過程で、働く意味について考えたとき、自分が好きなことをやって人の役に立たなければ仕事とはいえないことに気付きました。いやな思いをしながらイヤイヤするのは仕事ではありません。儲けることが目標になって、本来の姿を見失っていますけど、仕事って本来、好きなことや得意なことを起点にするものだったと思います」。

「好きを仕事にすること」がなぜ重要なのか

単純に「好きを仕事にする」、というロジックではない。物理的な側面も含め、人生の大半を占める仕事。だからこそ、楽しくなければ、働くどころか生きる意味すらないということだ。当たり前のようだが、一社員から経営者にまで上り詰め、そこから転落した人間が辿り着いた解だけに重みが違う。

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現在は、独自の経営スタイルで仕事を楽しんでいる安田氏

「いまの仕事がつまらないという人も当然いるでしょう。それなら、辞めればいいんです。ところが、ほとんどの人は辞めませんよね。辞めたら収入がなくなって不安だからでしょう。でも、ただ生きていくためだけに働くというなら、会社を辞めたってなんとかなります。結局、仕事はイヤだけど、たくさん稼いで、海外旅行に行ったり、おいしものを食べたりしたいから、正社員にこだわって働くワケでしょ。だとすれば、そもそも仕事自体が楽しければ、イコール人生も楽しくなる。稼いだお金でストレス発散なんて本末転倒です。好きなことや得意なことがない人なんていません。それでは食っていけないなら、どうすれば食っていけるようになるかを考えればいいだけなんです。いまはいくらでも個人で稼げるツールもありますしね」と安田氏はサラリと言い放つ。

→ 個人で手軽に稼げるウエブサービス8選

マイノリティが増えていくことが健全な世の中の姿

常に物事を斜めに見る安田氏らしい提言だ。とはいえ、一時は就職人気ランキング上位に名を連ねるほどの企業を経営しながら、破産した末に絞り出された、混じりけのない純粋な思いでもある。それだけに、正社員の経験しかないビジネスパーソンにとっては、耳に入れるだけではもったいない価値あるメッセージといえるかもしれない。好きなことをして、人の役に立ち、それで対価をもらう。それが、自分を磨き、人生を楽しくする働き方。それに対して、何ら否定的な思いは起こらないだろう。最後に安田氏は、こんなメッセージで締めくくってくれた。

「この本を評価してくれる人の多くは、“病んでいる人”。病気じゃなく、いわゆるこれまで常識とされてきた働き方に違和感を覚えている様な人たちです。私からすれば、その感覚こそが正しいと思うんですけどね。そういう人は社会では少数派。でも、そういう人を増やしていくことが世の中にとって健全ではないでしょうか。好きなことや得意なことがない、と心配する人がいるかもしれませんが、少なくとも私はそんな人は見たことがありません」。

常識に捉われることも大事だが、捉われ過ぎて縛れてしまうのは、愚かであり、幸福にはなれない--。激動の人生を歩む安田氏は、そんなメッセージをこの一冊に凝縮している。

インタビュー前編→優秀なほど正社員が損になる時代のスマートなキャリア設計とは


yasuda5<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)

1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。

なぜいまが働く女性にとって活躍できる“最後のチャンス”なのか

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大事なことは<自分で決め、自分で選ぶ>
(株)クオレ・シー・キューブ 岡田康子代表

女性活躍推進法の成立に象徴されるようにいま、働く女性の活躍を後押しする風が吹きつけている。女性が未来を発見するためのキャリアデザインを指南する最新刊「自分で決める、自分で選ぶ」の著者で、(株)クオレ・シー・キューブの岡田康子代表もこの状況を「チャンス」と明言する。ただし、一方では、「ラストチャンス」とも指摘する。乗り損ねれば、もう二度とここまでのチャンスは訪れない――。なぜ、このフォローウィンドが、働く女性にとって、2度と来ないチャンスなのか。聞き捨てならない言葉の真意と処方箋を聞いた。

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女性活躍の絶好機であり、ラストチャンスである理由

長らく叫ばれている女性活躍を推奨する声。ここ数年は、政府の後押しもあり、特にそのトーンが高い。一方で、当の働く女性はどうかといえば、ややしらけ気味だ。その因果関係はともかく、政府も最近になって、女性管理職3割の目標を事実上撤回した。やはり女性の活躍は、望むことが無意味なテーマなのか…。

岡田氏 女性にとって、いまがチャンスであることは間違いありません。今、かつてないほど人材不足の時代と言われています。それは形だけの女性活躍推進ではなく、企業が戦力として女性を必要とする流れになっていますから、いまこそチャンスといえると思います。ただし、一方で、これが最後のチャンスでもあると思います。

ラストチャンス。いつかまた波は訪れる。これまでの歴史を振り返れば、ぼんやりとそんな楽観もしてしまうが、もう二度とこうした風が吹かないかもしれないというのは穏やかでない。一体、どういうことなのか…。

岡田氏 いわゆる労働力不足が叫ばれているのは、ここ数年先までの話です。単純な作業や力仕事は人工知能やロボットにとってかわられることでしょう。いわれたことを真面目にやるだけでは、やがてロボットに負けてしまいます。ということは人間にしかできない仕事をする人、自ら考える人が求められてくるのです。「このままでいいんです」と目の前の与えられた仕事に一所懸命取り組んでいる人がいますが、それだけではだめですね。社会が変わり、会社が変わっていくのですから自分自身も変化していかなければなりません。成長を拒む、チャンスを活かさない人は社会から置いていかれることになりかねません。そうなる前に、策を打っておく必要があるということです。10年後に自分の職はどうなるのか、そして会社はどうなっているのか、を真剣に考えなければいけない時代に突入したのです。

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競合が人工知能へシフトする時代に持つべき心構えとは

これまではことごとく、女性活躍の機運に乗り損ねてきた感がある日本社会。その間にテクノロジーがどんどん進化。気が付けば、人の仕事に取って代わる存在にまでなった。「まだ先」、と思っていたことが、いつのまにかもうすぐそこまで、危機が迫っている。「大丈夫、別にいい」。そんなスタンスはもう通用しない。だからこそ、働く女性に追い風が吹き付けるいまが、最後のチャンスなのだ。

岡田氏 コンピューター、人工知能がどんどん進化するなかで人間として勝っている部分は何なのか?それをしっかり見極めることが大切です。これまでの産業界は技術的イノベーションと経営的イノベーションによって発展してきました。しかし、それも限界が見えてきています。これからは感性イノベーションが必要だと言われています。つまりイノベーションには左脳的思考のみならず右脳的思考が必要となってきているということです。ですから、感性や感情が豊かな人がイノベーションを促進するといってもいいでしょう。実は生活の身近なところにイノベーションのヒントが転がっている。だから、生活感を持っている人、一般的には女性がその可能性を秘めているんです。(後編:上昇志向のない女性こそいま、人材として必要な理由に続く)

女性活躍推進法

 


【プロフィール】
岡田 康子 株式会社クオレ・シー・キューブ代表
1954年生まれ。中央大学文学部卒業後、社会福祉法人や民間企業での勤務を経て、1988年企業の新事業コンサルティングを行う株式会社総合コンサルティングオアシスを設立。1990年東京中小企業投資育成株式会社から投資を受けて働く女性を支援する株式会社クオレ・シー・キューブを設立するなど自ら事業推進の経験を持つ。また1988年から社内起業研究会を主催し新事業やベンチャーの研究を行う。2001年にパワーハラスメントという言葉を生み出し、その後一貫してハラスメント防止対策に取り組む。2013年からDIW(Dynamic Innovation by Women)というコンセプトの下、働く女性活躍の支援サービスを行う。

株式会社クオレ・シー・キューブ: http://www.cuorec3.co.jp/

超ユニークな「コンビ採用」は採用戦略として無謀か革新的なのか…

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あくまで「2人一組」を応募条件にする理由とは
アソブロック 団遊代表

あのアソブロックが、5年ぶりの新卒採用で、ユニークなシステムを導入している。その名も「コンビ採用」。募集の条件が2人一組で、両者が合意しなければ、採用にならない。一度に2人を採用する、単に合理的な仕組みなのか、それとも同社流の仕掛けなのか…。謎に包まれた同制度の狙いを、団遊代表に直撃した。

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年棒を自分で宣言させるなど、ユニーク過ぎる経営スタイルをとる団代表

まさに一蓮托生の鉄の結束力を求める理由とは

募集の条件は2人一組限定。しかも、選考過程では、一方のみが採用とはならず、また、内定後もどちらかが辞退すれば自動的にその相棒も辞退になるというルール。まさに“一蓮托生就活”というフレーズがしっくりハマる、いまどきの若者には違和感もありそうな、独特過ぎる採用スタイルだ。

「我々の会社もいつの間にか30代のベテラン社員が増えてきました。独特の社風でやってきていますが、それに慣れてきてしまっている部分もある。やはり新しい血が入ってこないとそうしたことも分らなくなる。それが、5年ぶりに新卒採用をする理由です。一方で、中小企業においては、新卒社員の定着が大きな問題です。入社して、良きライバルがいれば、相談したり切磋琢磨して、馴染んでいけるのでしょうが、そうした人が入った当初からいる確率は極めて低い。だったら、最初から、そういう相手とのコンビで入ってもらえば、諸々の問題も解消される。そう考えたんです」と団代表は、コンビ採用誕生の経緯を明かす。

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確かに新卒の離職率は、久しく3割前後で推移しており、芳しくない。大量に新卒を採用する大企業ならともかく、ベンチャーや中小企業にとっては、新卒とはいえ、途中リタイアの穴は決して小さくない。そうした課題に対する、アソブロック流の“予防策”が、コンビ採用には内包されているというワケだ。ライトなイメージにもみえるが、かなり考え抜かれた採用戦略といえそうだ。団氏はさらに続ける。

2人1組にどこまでのレベルを求めるのか

「ある企業が、学生ベンチャーをそのまま丸抱えで採用するということをやっています。企業にとっては、現有勢力で新事業を始めることを考えるなら、やっているものをそのまま持って来る方が手っ取り早い。学生にとっても、起業した会社を続けていけることは、そのまま入社動機にもなり、願ったり。それに似た感覚がコンビ採用を取り入れた狙いのひとつにありますね」。

学生ベンチャーと学生コンビ。一見、両者に接点はなさそうだが、ニュアンスは伝わってくる。つまり、学生時代に培ったノウハウを起業というカタチにしているか、「名コンビ」と呼ばれるほどに完成された2人組にまで確立した関係性を築けているか…。もっとも、前者ならいまは比較的出会いやすかもしれないが、後者の様な学生の「名コンビ」がいまの時代、どれほどいるかとなると疑問符が付く…。ましてや、2人揃って同じ会社を受けようというほど、考えや価値感が一致した学生の2人組が、そうそういるとは思えない。

3組のコンビが臨んだ選考の様子。「名コンビ」はいたのか…。

3組のコンビが臨んだ選考の様子。「名コンビ」はいたのか…。

単なるユニーク採用とは一線を画す不敵な狙い

「なぜ2人が条件なのか?。なぜ、一人が嫌なら内定にならないのか?。その辺の本質を見極める力があると、選考でプラスに作用するかもしれませんね。間違いなく言えるのは、本気で成長したいと思う人には、アソブロックは最高のフィールドということです」と謎をかけるように不敵にほほ笑む団代表。その表情からは、昨今増加傾向にある、焼き肉就活や占い採用など、できるだけ本音をさらけ出してもらってマッチング精度を上げる、ユニーク採用とは一線を画していることは間違いなさそうだ。

芸術の世界ではグリム兄弟、藤子不二雄…、お笑い界では横山やすし・きよし、ツービート、ダウンタウン…、プロレス界では馬場と猪木のBI砲、ザ・ファンクス、鶴田&天龍の鶴龍コンビなど、2人一組で名をあげた著名人は数多い。いずれも、一人ひとりではなく、2人だから“傑作”だった。コンビ採用が求める人材がどこまでのレベルかはよくわからない。だが、確実にいえるのは、2人一組で受験し、入社することに意味があると確信している「コンビ」にその門が開かれているということだ。

最後に、万が一の場合についても一応、聞いてみた。入社後に1人が退社した場合だ。「その時はさすがにもう一人も解雇とはもちろんなりません。ただし、その人次第ですが、もう一度採用試験を受けてもらうことになります」とのことだった。

◇アソブロックの記事
→ あなたの仕事はいくら?自分で年俸を宣言できる会社

フリーランス美容師の普及を目指すサロンの思惑とは

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株式会社turba

代表取締役 渋川綾氏
取締役 川口陽二氏

新たなステージへ向かいつつある美容室の働き方。東京・表参道、恵比寿を拠点とするサロン「ORO」で働く美容師は、全員がフリーランスだ。前近代的な働き方が幅を利かす美容師という職業にあって、最先端ともいえるワークスタイル。じわじわと広がる美容師の「フリーランス」化の動きについて、その普及を推進する同サロンオーナー幹部に、実態や可能性を聞いた。

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フリーランス美容師の普及を目指す渋川氏(左)と川口氏

全員がフリーランスの美容室

志望者数の減少などもあり、美容師の就労環境改善に取り組むサロンが増加傾向にある。そうした中、さらに一歩踏み込んだアクションをする美容室がある。東京・表参道、恵比寿を拠点とするサロン「ORO」だ。同サロンのスタッフは、なんと全員がフリーランス。つまり、基本、両者の関係は、場所のオーナーとフリーの美容師に過ぎない。報酬についても、サロン側は、経費として売り上げの4割をフリーランス美容師から徴収するだけだ。

「実は、この形式で、直ぐに会社が儲かるとうことはありません。むしろ、目的としては、フリーランスの美容師という働き方がありますよ、ということを多くの美容師に知ってもらいたいんです。サロンで頑張って働いて、稼げるようになり、やがて独立するだけがその選択肢ではないんです」とサロンオーナーで、(株)turba代表の渋川綾氏はフリーランス美容師普及への熱い思いを明かす。

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専門学校を経て美容室へ就職する人の多くは、その後キャリアを積み上げ、売り上げを上げるようになり、やがては独立するというケースが多い。確かに美容師のひとつの成功へのルートに違いない。だが、ようやく一国一城の主となっても、現実は人件費や家賃などの固定費に圧迫され、集客も思うようにいかず、苦境に立たされるケースも少なくない。だからといって、社員として働きつづけても、手取りは決して多くなく、労多くして実少なし、という現実がある。だからこそ、渋川氏は力説する。

なぜ美容師はフリーランスがマッチするのか

「私自身は、幸運にも美容師になってすぐに多くの売り上げを上げることが出来ました。でも、それに対してなぜこんなに報酬が少ないんだろうという思いがありました。そのまま独立という道もありますが、その前にフリーランスになれば、固定費もかけずに頑張った分だけ稼ぐことができる。だから、独立の前のひとつの選択肢としてでも、フリーランス美容師という選択肢があるんだよ、ということを知って、希望を持って美容師を続けて欲しいんです」。

渋川氏が美容師継続を訴える裏には、その高い転職率がある。3年以内に限れば、その数はなんと80%にも上る。その後の転職活動がうまくいかないことも少なくなく、渋川氏は美容師を取り巻く環境の厳しさを深刻にとらえている。結婚・出産で辞める人の割合も高く、そのまま、美容師自体から、撤退する人も多いといい、志願者減の現状と併せても、無視できない危機的な状況となっている。

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その解決策のひとつが、「フリーランス美容師」という選択肢だ。同社がサポートするのは、フリーランスとして働く場所の提供とSNSを活用した集客ノウハウおよび、社会保険や確定申告に関する講座の開催など。売り上げの安定こそ保証できないが、どこにも属さない孤独なフリーランスに比べれば、美容師として活動する環境が整備されており、精神的にも安心感がある。なによりも、美容師以外の活動も自由ということが最大のメリットといえるだろう。実際、同サロンにもカメラマンやブロガー、商品開発など、他の仕事で収入を得ているダブルワーカーも多く、例外なく充実した日々を過ごしているという。

フリーになって拡がったさまざまな可能性

「私は10年以上、フリーランスの美容師をしていますが、言いたいのは、収入面はもちろんですが、人生まで損しないで欲しいということ。サロンに雇用され、さまざまな拘束の中で働き続ける先に、本当に明るい未来があるのか…。美容師の人は他にもいろいろな才能を持っていたりすると思うのですが、閉じられた世界にいるとそれを発揮しれない。フリーになれば、時間は自由ですし、他の仕事をすることももちろんOK。いろいろな可能性が拡がります」という川口氏は、同社の取締役で現役の美容師ながら、独学でプログラミングを学び、管理用の専用アプリを自作。言葉通り、自らの可能性を最大限に引き出しながら、人生を謳歌している。

フリーランスという雇用形態をとる美容師の「プロ化」を推奨する2人は、いまだ前近代的ともいわれる業界にあって、まさに革命児といえる。将来的には、「フリーランス美容師が主流になれば」とその胸には大きな野望も抱く。まずは、まだまだ認知度の低い、「フリー美容師」の認知向上に全力で突き進むことが当面の目標だが、美容業界の働き方変革への思いにブレはない。業種・業界を問わず、様々な分野で加速する働き方革命。根底には社会構造の変化もあるだけに、もはや、その動きには抗いようはないといえそうだ。

→ あなたはアマチュア? 「プロ会社員」に空前の“モテキ”が到来

なぜ、理想の「働く」は、手に入れるのが難しいのか

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既定のレールから外れたからこそみえたもの
イベントプロデューサー
フジモトタイチ氏 <前編>

<働くとは…>。ビジネスパーソンにとって、最も身近でありながら、あまり意識されないテーマかもしれない。明確な解はないだけに無理もないが、見方を変えれば、みえないものがみえてくることもある。一般的な学生からの就職パターンにそっぽを向いた、イベントプロデューサーのタイチ氏。「生粋の天邪鬼」が、あえて選択した“規格外”の道のりの先にあったのは、意外にも「働く人」と「仕事」の理想に近い関係性だった…。

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“逆回転人生”で切り開いたポジション

同氏のこれまでの人生は、一般的な学生が就活を経て社会人へと進む過程と逆行するような独特のコースを歩んでいる。日本の大学を卒業後、ロンドンの大学院へ留学。卒業後、現地で起業し、失敗。“ホームレス社長”として人とつながりながら生き延び、帰国。その後、フリーの企画屋として活動。そして、30歳を目前にして、再び起業し、社長となる。七転び八起きというより、気ままに動き続け、どんな困難もポジティブに捉え、切り開いた末にいまがある…。

「学生時代、面白かった仲間たちも就活をすると丸くなっていく。自分はそうなりたくないと思ったんです」。学生時代、就活に励む仲間が、すっかり常識人になっていく姿を横目にみながら、タイチ氏は、空しさのようなものを感じていた。本当に誰もが無条件で通らなければいけない道なのか…。日本で社会人になることは、イコール自由から遠ざかる――。タイチ氏の心のどこかに、そんな漠然とした思いがあった。当たり前のように視界に入ってきた既定路線から外れる選択をするのもごく自然だった。いよいよ就活となるころには、毛髪を金色に染める。就活しない“決意表明”だ。

社会人生活のスタートはロンドンでの起業だが…

大学卒業→就活→企業へ就職という定番コースを拒絶しタイチ氏が、その進路に選んだのは海外の大学院。英語が得意だったワケではないが、型に収まらない自由さを求め、あえて海外を目指した。なんとか語学もマスターし、滑り込んだのは英国・ロンドンの大学院だ。仲間は就職し、会社で汲々とする同じ時間、タイチ氏は、伸び伸びとロンドンの学生生活を謳歌する。そして卒業後、当初から目標としていた起業を実現。日本での就活を蹴った金髪学生の社会人生活は、「ロンドンで起業」という耳触りのいい形で、とりあえずスタートする。

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ロンドンでの大学院卒業までは順調だったが…

だが、異国での起業がそう簡単にうまくいくわけもない。ポツポツと仕事は来るが、スズメの涙。みるみる資金は尽き果て、事業はあえなくとん挫する。2年間のビザの期限も残り半年に迫っていた。常人なら、ほぼ迷わず、無念の帰国を選択するシチュエーションだろう。ところが、タイチ氏の辞書に「後退」の2文字はなかった。なんと、資金がないことを逆手にとり、“ホームレス社長”として、チェンジメーカーの話を聞くという活動を始める。まさに宿無しで路上や空港で寝泊まりしつつ、知り合った人の家に泊めてもらうなどで食いつなぐという図々しさの極みだ。それでも、ロンドンっ子の懐が深いのか、文無しのタイチ氏があまりに哀れに見えたのか…。その数は、約400人にもなった。

イベントの大成功で訪れた転機

土壇場で、海外での人脈という大きな財産を得て帰国したタイチ氏は、「人のつながりで生きられることを体感したが、自分は与えてもらっただけ。この財産を生かし、大きなインパクトを残すなにかを出来る人にならねば」と一念発起。フリーランスの企画屋として、得意の人を驚かすことに知恵を絞ることになる。そして、ホームレス社長時代に知り合った海外人脈から「早朝フェス」の創始者に突き当たり、すぐに交渉を開始。権利を獲得し、日本版として開催。これが、多くのメディアの注目を集めるイベントとなり、タイチ氏のイベントプロデューサーとしてのキャリアがスタートする。

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早朝フェスに続く、スライドザシティも大きなインパクトを残した

手探りで始めた早朝フェス。特別、音楽に造詣が深いわけでもなく「面白そうだから」、という軽いノリだったが、注目度の高まりと比例して、動きは加速する。企業とのコラボが実現するなど、順調に成長し、ノウハウも蓄積。勢いに乗り、次に手がけた、「スライドザシティ」というアメリカ発の超巨大ウォータースライダーを設置し「道路を滑りまくる」という大スケールのイベントは、年間で1万人規模を集客。大成功を収める。まさに世間に「大きなインパクトを残し」、タイチ氏は、イベントプロデューサーとして、それなり胸を張れるところまで辿り着く--。ところが…。

インタビュー後編(やりがいの追求とビジネスとして成立させる分岐点にあるもの)では、イベントプロデューサーとして本格的に活動することを決めたタイチ氏のこれからと「働くこと」についてお届けします。


【プロフィール】フジモトタイチ
たいち(株)がんばれタイチ(法人設立準備中)社長。「楽しくチャレンジする」をモットーに、国内外問わずイベントや様々なクリエイティブ分野で活躍するクリエイティブチーム(現在、1人)であり、世界と日本の面白いコトをつなぐ仕事をしている。2013年11月に5年間の英国ロンドン生活を終え帰国。その後、通勤通学前に参加できる平日の早朝フェス「Morning Gloryville Tokyo」や、全米で話題沸騰の街中巨大ウォータースライダー「Slide the City JAPAN」を仕掛けたりと東京を中心に様々な話題のイベントや企画を作り出している。


やりがいの追求とビジネスとして成立させる分岐点にあるもの

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起業→フリーランス→起業のワケ

イベントプロデューサー
フジモトタイチ氏 <後編>

メディアに大々的に取り上げられ、大企業とのタイアップも実現。まさに大成功となった、「早朝フェス」と「スライドザシティ」。2大イベントの成功で、ロンドン帰国後のタイチ氏のイベントプロデューサーとしての価値は跳ね上がる。ところが、その懐が潤うことはなかった…。イベントの成功とビジネスとしての成功の狭間で苦悩するタイチ氏。悩んだ末に下したのは、フリーランスを辞め、会社を設立するという決断だ。

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イベント大成功、出もビジネスとしては失敗の現実

抜群の注目度と集客。それでも、ビジネスとしては十分な結果は残せなかった。お金が入ったものの、同じくらい出ていってしまったのが原因だ。そこで、タイチ氏は、この悩ましい状況をSNSに公開。弱点である経営者目線を補うべく、「社長募集」というカタチで不特定多数に呼びかける。すると、先輩、友人などから多くのメッセージが集まる。そして、<気持ちは分かるが、社長を人に任せたらやりたいようにできなくなるかもしれない。思い通りにやりたいなら社長は自分でやった方がいい>という声を噛み締め、決断する。フジモト2度目の会社設立だ。

社名は「(株)がんばれタイチ」。社員はまだいないが、自分を鼓舞するようなネーミングは、この起業にかける決意の表れといえるだろう。「もっとインパクトを残すイベントを創りだしてやる」。フリーランスとして、気ままにやってきたが、社長になれば、そうはいかない。ロンドンでも一度失敗している。ただし、今度は、お金はないが、気持ちには少し余裕がある。普通の会社にいては学べない貴重な体験と失敗を、約5年の間に体にしっかりと刻み込んだからだ。

本腰が入った2度目の起業

フリーランス時代は、分からないことだらけのせいもあったが、何でも自分でやっていた。それを改め、アウトソーシングを最大限活用する。その延長で、企画を売り、継続的な潮流へ育てる土壌を構築する。苦手な戦略立案やスケージュール通りの進行にも真摯に向き合い、数字もしっかり追う…。単なる企画屋でなく、経営者目線も持ち合わせたビジネス展開。(株)がんばれタイチは、タイチ氏が、これまでの経験を全て注ぎ込む、現時点の集大成といっていい。奇しくも30歳を目前にした2度目の起業は、ある意味、タイチ氏にとって、本当の再スタートといえる。

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裸一貫ならぬパンツ一枚でさっそうと歩くタイチ氏

フジモトタイチのイベント論

「僕は企画において、常に人を驚かせたり、新しいもの生み出すことは意識しています。ただ、そうやってインパクト残してもお金が回らなければ、イベントとしては学園祭と変わらない。そこはプロ意識をもってやっています。その積み重ねで今がある。18歳くらいから、やりたいことをやるにしても30歳までにものにならなければ、やめよう、とは漠然とですが考えていました」と明かすタイチ氏。悲壮感はまるでないが、結果的にモノになる手ごたえを30歳目前にしてつかみ、目の前に開けたイベントプロデューサーとしての道を本格的に突き進むことを決めた。

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とにかく面白いことを全力でやるのがタイチ流だ

行き当たりばったりとは言わない。もがき苦しむでもない。無邪気に遊びほうける。それが一番近いのかもしれない。とにかく、日本の大学を卒業してからのタイチ氏の歩んだ道のりは、安定というレールとはまるで正反対の「規格外」という言葉がしっくりくる。常識に縛られていては確実にドロップアウトしそうな手探りでしか進めない道なき道だった。そこを楽しみながら潜り抜けたからこそ、いまがある。敷かれたレールには目もくれず、自力で社会に居場所を切り拓いたタイチ氏にとって、「働くこと」は、一体どんな意味があるのか。

タイチ氏にとって「働く」とは

「『働くこと』? そんなこと考えたことないですね。やることにお金が発生すれば、それが仕事なんでしょうね。でも、それは人から見て仕事にみえても、僕にとっては遊びなのかもしれないし…。うーん、なんでしょう。飲み会なんかで『仕事なんで』という感じでよく言い訳に使うじゃないですか。その意味では、なにかと都合がいいもの、ってイメージはありますね」。答えにはなっていないが、なぜか納得のいく解答だ。

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荒波に飲み込まれてもそれを楽しみながらスイスイいくのがタイチの生き方

<これは仕事>と思って言い聞かせるように取り組んでいるのが、一般的な社会人とすれば、タイチ氏にとって、仕事、そして、働くことは、<自分らしくいるための一部分>ということなのだろう。わざわざ考えるようなことでもない。やりたいからやる。やりたいことをやり続ける--。ごく自然な欲求が原動力となり、取りかかるまで、だ。このスタンスが、規格外のコースを歩んできたタイチ氏だから辿り着けた産物だとすれば、万人にとって希望は少し薄いが、その仕事との距離感や関係性は、「働く人」と「仕事」の理想に近いといえるのではないだろうか(了)。

前編→ なぜ、理想の「働く」は、手に入れるのが難しいのか


【プロフィール】フジモトタイチ
たいち(株)がんばれタイチ(法人設立準備中)社長。「楽しくチャレンジする」をモットーに、国内外問わずイベントや様々なクリエイティブ分野で活躍するクリエイティブチーム(現在、1人)であり、世界と日本の面白いコトをつなぐ仕事をしている。2013年11月に5年間の英国ロンドン生活を終え帰国。その後、通勤通学前に参加できる平日の早朝フェス「Morning Gloryville Tokyo」や、全米で話題沸騰の街中巨大ウォータースライダー「Slide the City JAPAN」を仕掛けたりと東京を中心に様々な話題のイベントや企画を作り出している。

「苦労」が辞書にない人の代わりの言葉とは

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私の辞書に「苦労」の2文字がない理由

私の辞書には『苦労』という言葉がありません。小さい時にはこの言葉を使っていた時期もあったと思いますが、社会人になったぐらいから使わなくなりました。それは、『逆境』という素晴らしい言葉に巡り会えたからです。

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ある問題に直面した時に、『苦労』という言葉を使ってしまうと、今すぐその場から逃げ出したいような、できれば避けて通りたいような、『逃げ』のスタンスが自分の中にどうしても生まれてきます。そうするとその問題を解決するためのエネルギーレベルが下がってしまうと思うのですよね。

言葉一つで達成率が変化する

逆に、『逆境』という言葉は、その問題に立ち向かうことが前提となっている語感があるので、逃げるという選択肢が最初から除外され、『苦労』という言葉を使った場合よりも、問題を解決するためのエネルギーレベルがかなり高まるように思います。

子供の頃、学校の先生や父親から打たれたビンタも、逃げながら受けると痛いけど、向かっていけば痛くありませんでした。

ビンタをされたことが無い人は、注射も『痛い』と思って刺されると本当に痛いですが、『痛くない』と思って刺されると意外と痛くない、というのを思い浮かべて頂ければわかりやすいと思いますが、エネルギーレベルが高い方が、つらさや痛みを感じにくいということ。そして自分が使う言葉1つで、そのエネルギーレベルを高くできるということ。

これを意識的にやっていくことで、高いハードルを達成できる人になれる、ということです。

今も「苦労」という言葉を使っている方は、ぜひ今から変えてみてくださいね。


hiraosi【プロフィール】平城 寿 Hirajo Hisashi
1976年宮崎県生まれ。九州大学工学部卒(1999年)。もともとITエンジニアで、2004年にSOHO事業者向けビジネスマッチングサイト「@SOHO」を1人で立ち上げ、4年で日本国内No.1の会員規模にまで育て上げる。その後インターネットの可能性に魅了され、自らネットを活用した「場所や時間にとらわれないワークスタイル」を実践。2011年より海外に拠点を移し、アジアを中心に毎月5都市以上を訪問。『海外ノマドスタイル』を確立して、その魅力を発信している。

平城寿公式ブログ:http://hirajo.com/
平城寿Facebook:http://www.facebook.com/hisashi.hirajo
@SOHO:http://www.atsoho.com

「変な」アクションが秘める職場改善の可能性

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リクルートדベツルート”の異色対談【前編】
これからの時代に求められる職場活性化アワードの在り方

転職情報サイト・「リクナビNEXT」編集長とマニアックすぎる採用を行う「ベツルート」の元編集長。対極にある2つの転職就活メディアに携わる2人が、異色の融合を果たした。「リクナビNEXT」を運営するリクルートキャリアが主催する「グッド・アクション」に研究者で人材プロデューサーの若新雄純氏が審査員として新たに参画することになったのだ。予想外のスーパー触媒となるのか、激辛のスパイスとなるのかーー。あいさつ代わりの特別対談は、いきなり若新氏の強烈なカウンターパンチで幕を開けた。

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新審査員として参画する企業表彰アワードにいきなり物申した真意

転職市場に一定のスタイルを築き上げたリクルートで、この4月よりリクナビNEXTの新編集長に就任した藤井薫氏。リクルート一筋で様々な事業を渡り歩く同氏だけに、その遺伝子がしっかりと刻み込まれている。3回目を迎えるグッド・アクションには、新たにどんなカラーを持ち込み、新風を吹き込もうというのか。

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藤井氏 もともと財務部からスタートして、B-ing、TECH- B-ing、アントレやワークス研究所などを経て、28年。リクルート一筋で今に至っています。転職という行動自体がまだ肩身の狭い思いをする時代から転職市場をみてきています。多様な働き方が注目される昨今ですが、いまだ「定時に帰宅することも肩身が狭い」という職場は多いのではないでしょうか。しかしいまは、みんなが一律で同じがいいという時代ではない。一人一人の働き方で本領を発揮し、企業と共進することこそが、求められている時代です。しかし、どうすればそうした個人と組織の新しい関係が実現できるのか分からない。そんな企業の現場からの声を、私たちは多くいただいてきました。グッド・アクションは、そうした企業の皆様の声に応え、支援する目的で、職場を盛り上げる取り組みに光を当て、表彰。他の企業がヒントにできるようにと共有し、世の中全体の職場変革を後押しできないか、という思いでスタートし、これまで2回実施してきました。3回目を迎える今回は、職場で誰もが肩身が狭くない世の中に変えることをひとつのキーワードに臨みたいと思っています。新しく審査員に加わって下さる若新さんには、我々にない全く新しい視点を期待しています。

リクルートとは対極といえるスタンスで、ニートやはみ出し者に特化したマニアックな就活サービスを実施するなど、就活市場のマイノリティを掘り起こす活動で、独自路線を突き進む異色の人材プロデューサー・若新氏。かつて関わった就活媒体は「ベツルート」と命名されるなど、アンチマジョリティ路線で、就活戦線にうねりを起こし続ける同氏は、ここまで堅実に歩んでいるグッド・アクションでどんなアクションを起こそうというのか…。

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ベツルート編集長時代に若新氏がプロデュースした占い就活

若新氏 最初に思ったのは、「グッド・アクション」という名前についてのことです。「グッド」って言葉は、「バッド」との対比なので、多様性を打ち出すグッド・アクションでは邪魔になると思うんです。理想を言えば、グッドを評価して上に上がるのではなく、横に広がる社会にするような取り組みになれば面白いかなと。いまは社会全体においても、頑張って上に上がるのが簡単じゃない時代でもありますから。名前は簡単には変えられないかもしれないけど、例えば「マニアック・アクション」とか、「変なアクション」とか、ね。「変な」という言葉は、HISの澤田社長が運営ホテルを「変なホテル」と命名したけど、アレはホントに素晴らしい。ロボットを導入したからといって、人より付加価値の高いサービスが提供できるとは限らない。期待値を上に挙げるんじゃなくて、横に広げた。

新しい価値観や文化を横に広げるようなアワードに

さすがに、今年から「変なアクション」への改名はなさそうだが、若新氏ならではのスパイスたっぷりの参画宣言だ。もっとも、リクルートはいわば元祖、新しい働き方の実践企業でもある。巨大化してその印象が薄れているが、藤井氏にとって、若新氏の指摘は、眠りかけていた本能をしっかりと刺激したようだ。

藤井氏 「変な」というと例えば「変態」という言葉があります。いまの時代は、会社組織が新しい様態に変わるためのサナギの期間だと思います。まさに変わろうとする取り組みに注目する点では面白いネーミングといえるかもしれません。ここまでの1年、2年は、グッド・アクションはどちらかといえば真面目路線でした。でもこれから先を考えたときには、おじさん世代の支持はもちろんですが、若者世代に興味を持ってもらわないといけない。その意味でも若新さんには、常識に捉われない全く違う視点で、「それもありだな」という斬新な発想をどんどん打ち出してもらいたい。

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若新氏 変な話、このアワードが失敗したとしても、リクルートにとっては経済的にはほぼ痛みはないでしょ。逆に、これによってなにか利益を得ようという考えも、ゼロではないにしてもそれほどはないでしょう。だからリクルートには、稼いだお金を活用すべく、このグッド・アクションを通して、新しい価値観や文化を横に広げるようなことをして欲しいですよね、偉そうなこと言っていますが。僕は関わる以上、それくらいのところを一緒に目指せたらうれしいです。リクルートさんなら資金力はもちろん、それだけの知見も余裕もあるわけですから。

激辛のスパイスが、一転、すぐれた触媒のようにアイディアをスパークし、膨張させる。グッド・アクションが、若新氏によってその殻を破り、新編集長の藤井氏の創造性をも刺激する。勢いづいた若新氏はもう止まらない。話題は、本筋の職場についてから雇用形態についてまで、どんどん広がっていくーー。(後編に続く)


<プロフィール>
fujii藤井薫:1988年慶応大学理工学部を卒業後、リクルート(現 株式会社リクルートホールディングス)に入社。B-ing、TECH B-ing、Digital B-ing(現リクナビNEXT)、Works、Tech総研の編集、商品企画を担当。TECH B-ing編集長、Tech総研編集長、アントレ編集長・ゼネラルマネジヤーを歴任。2007年より、リクルートグループの組織固有智の共有・創発を推進するリクルート経営コンピタンス研究所コンピタンスマネジメント推進部及グループ広報室に携わる。2014年よりリクルートワークス研究所Works編集兼務。主な開発講座に『ソーシャル時代の脱コンテンツ・プロデュース』『情報氾濫時代の意思決定の行動心理学』などがある。

wakashin若新雄純:(株)NewYouth 代表取締役、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任講師、国立福井大学産学官連携本部 客員准教授。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。様々な企業・団体の人材・組織開発、コミュニケーション開発コンサルティングを行う一方で、人と組織の多様な成長モデルや新しい社会コミュニケーションのあり方を研究・模索し、実験的なプロジェクトを多数企画・実施中。NEET(株) 代表取締役会長、鯖江市役所JK課 プロデューサー、ナルシスト採用 、「ゆるい就職」 、くじ引きと占いの就活「ベツルート」など、数々のマニアック就活をプロデュースする。


グッド・アクション
近年、職場の環境や雰囲気が、働く人の「働きやすさ」「モチベーションアップ」の重要な要素とされる現代。企業が独自に取り組む研修や社内イベント等の取り組みを募り、紹介することで、自分らしい「働き方」や「やりがい」のヒントを発掘するきっかけとすべく設立された。企業規模を問わず、あらゆる企業に門戸を開放するオープンな企業アワードとなっている。3回目となる今回の締め切りは9月30日。詳細はコチラ

職場版イグノーベル賞は実現するのか

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リクルートדベツルート”の異色対談【後編】
正解はない--職場を活性化する十人十色の可能性

リクルートキャリアが主催する、職場を盛り上げる取り組みを表彰するイベント「グッド・アクション」に審査員として参画することになった就活マイノリティの掘り起し実験を先導する人材プロデューサーの若新雄純氏。いきなりそのネーミングに物申した同氏とリクナビNEXT新編集長・藤井薫氏の異色対談は波乱の幕開け(前編)となったが、その波長は時間の経過とともにシンクロ。働き方の多様性や雇用形態、さらにはグッド・アクションの間口を大きく広げる大胆提言まで飛び出す、予想外の化学反応が起こった。
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職場に働きがいや生きがいを求めることが矛盾しているワケ

グッド・アクションは職場を盛り上げる取り組みに注目し、他の企業が参考にできる事例を紹介するプロジェクトだ。若新氏が関わりを持つ人材マイノリティの多くは、その職場にさえたどり着かない人も少なくない。若新氏は一体、「職場」というものをどう捉えているのか…。

若新氏 そもそも職場ということでいえば、その意味が変わってきていると思います。100年前の明治時代にサラリーマンというものができたといわれるけど、それまではほとんどが農民だったわけです。天候に左右され不確実だった収穫が、月給という極めて安定した収入に変わった。その時から、会社員は、安定の代償としてその身を会社に預けることがむしろ理想的なこととして宿命づけられた。そこに「働きがい」や「生きがい」を求めること自体、そもそも矛盾しているわけです。ところが今や失業率はわずか3%。ただ月給をもらうだけでは、会社員であることの意義を感じられなくなってきたのです。

複雑な時代に職場活性化への秘策はあるのか

サラリーマンというものが誕生した当初は、会社員自体がマイノリティで、確実に月給がもらえるありがたい形態だった。だが、会社員が主流という現代においては、職場にやりがいや生きがいみたいなややこしいものを求めるようになってきた。さらにいえば、椅子取りゲームが激化し、高待遇を目指すなら、居場所の確保さえも困難になる。かなり複雑な状況に思えるが、一体どうすればこの時代にグッド・アクションを職場活性化イベントしてさらにジャンプさせることができるのか…。

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藤井氏 1995年にリナックスを開発し、世界中にオープンソース運動を巻き起こしたフィンランドのリーナス・トーバルズ氏を編集者として取材しました。その時、彼がこんなこと言っていました。「Just for Fun(僕にはただ楽しかっただけなんだよ)」。本当に聞き取れないくらいの小さな声でボソッと、そうひと言、口にしたのです。とてつもなくすごいことをしているのに、競合との競争といった視点でなく、新しい労働観というか新しい働き方を軸にした仕事への向き合い方をしているんです。これって、まさに幅だと思うんです。そこで思うのは、グッド・アクションを職場におけるそういう働き方の「幅」を拡げられるものにするというのは可能性としてありではないかなと。

若新氏 イグノーベル賞(その必要性はともかく、面白く、考えさせる研究に対し与えられる。ノーベル賞のパロディ)ってあるでしょ。そういう、「そんなのもOKなの」というくらい多様性や違いを認める場にするというのもいいかもしれません。それによって議論のきっかけになるというか…。別の観点でいうと、例えば、主婦がいます、学生います、といろんなタイプの人材を採用して柔軟な職場を実現している企業がありますけど、あれって、雇用形態が正社員に限らないんです。バイトや業務委託みたいな契約になっている。だから実現している。正社員は排他的契約で、他の可能性を捨てているから「正社員」という雇用形態を得ている。だから、そういう中でどうする、ということもいいけど、雇用形態も踏まえてみていくという視点も必要なのかとは思います。

職場活性化アワード「グッド・アクション」の応募企業へ求めること

職場を活性化する取り組みを評価するイベントとして誕生したグッド・アクション。対談は、脱線したようで、現状の働き方の本質をえぐる興味深い展開となった。ともに初参加となる2人は今回、どんな取り組みが応募(エントリー締め切り=2016年9月30日)されることに期待しているのか。対談の締めのとして聞いてみた。

若新氏 職場を盛り上げる取り組みという意味では、単に盛り上げるということではなく、どう変えた、変わったのか、というところが知りたいですね。「その手もあったか」というようなものとか。また、そもそも子どもを産んだ後に職場に復帰しやすいという場合に時短で働いていたりする場合が多いですけど、それは正社員でなかったりする。週3勤務とか週4勤務もそうで、パートだったり契約社員だったり。それでも本人はすごく充実していたりする事例があって、それはどうしてなのか、とか。

昨年のグッド・アクション表彰式の模様

昨年のグッド・アクション表彰式の模様

藤井氏 私は2つです。まず人事担当者だけでなく、働く現場の人からの応募に期待したいですね。やはり、「自分の働き方は自分で創っていかないと、本当にフィットするものは生まれてこないのではないか」と確信しています。もうひとつは、地方の企業からの応募に期待したいですね。労働人口のほとんどは東京を中心に吸収されています。幅を広げるという点でも、地方の企業の取り組みには意外性や可能性があると感じています。「この取り組みは応募する価値があるのか…」、と躊躇しないでほしいですね。

昨今、働き方を表彰するアワードはいくつか存在する。企業にとっては、その魅力をアピールする上で絶好の機会といえるだろう。だが、取り組みがハイレベルであることと、誰もがイキイキと働ける職場がイコールとは限らない。試行錯誤の中で進むグッド・アクションは、若新氏の参画で、そうした中でも異質の輝きを放ちそうな予感だ。そのカギを握るのは、なによりも常識に捉われない取り組みで、これまでにない働き方や職場変革を目指す企業だ。どれだけ多くの企業が応募するかに成否にかかっているといっていいだろう。どんな職場づくりがベストなのか…。そこには正解も基準もない。その意味では、どの企業にも応募資格があるアワードが、グッド・アクションといえる。(了)

前編:「変な」アクションが秘める職場改善の可能性


<プロフィール>
fujii藤井薫:1988年慶応大学理工学部を卒業後、リクルート(現 株式会社リクルートホールディングス)に入社。B-ing、TECH B-ing、Digital B-ing(現リクナビNEXT)、Works、Tech総研の編集、商品企画を担当。TECH B-ing編集長、Tech総研編集長、アントレ編集長・ゼネラルマネジヤーを歴任。2007年より、リクルートグループの組織固有智の共有・創発を推進するリクルート経営コンピタンス研究所コンピタンスマネジメント推進部及グループ広報室に携わる。2014年よりリクルートワークス研究所Works編集兼務。主な開発講座に『ソーシャル時代の脱コンテンツ・プロデュース』『情報氾濫時代の意思決定の行動心理学』などがある。

wakashin若新雄純:(株)NewYouth 代表取締役、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任講師、国立福井大学産学官連携本部 客員准教授。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。様々な企業・団体の人材・組織開発、コミュニケーション開発コンサルティングを行う一方で、人と組織の多様な成長モデルや新しい社会コミュニケーションのあり方を研究・模索し、実験的なプロジェクトを多数企画・実施中。NEET(株) 代表取締役会長、鯖江市役所JK課 プロデューサー、ナルシスト採用 、「ゆるい就職」 、くじ引きと占いの就活「ベツルート」など、数々のマニアック就活をプロデュースする。


グッド・アクション
近年、職場の環境や雰囲気が、働く人の「働きやすさ」「モチベーションアップ」の重要な要素とされる現代。企業が独自に取り組む研修や社内イベント等の取り組みを募り、紹介することで、自分らしい「働き方」や「やりがい」のヒントを発掘するきっかけとすべく設立された。企業規模を問わず、あらゆる企業に門戸を開放するオープンな企業アワードとなっている。3回目となる今回の締め切りは9月30日。詳細はコチラ

経営トップが女子高生に本気で経営を語った結果…

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経営トップは女子高生になにを語ったのか

さきごろ、都内である会合が行われた。場所は、社長室。そこで経営トップと対峙したのは、都内の名門校に通う女子高生。経営トップと女子高生のやり取りは、実に2時間にも及んだ。密室の中で、一体、なにが行われたのか…。

進路指導の三者面談のようだが、実は経営トップの経営特別講座だ

進路指導の三者面談のようだが、実は経営トップの経営特別講座だ

経営者は、林順之亮氏。全研本社(株)(東京都新宿区)の社長だ。女子高生はTさん。メガネが似合う知的な高校2年生。歳の差なんと35歳。なぜ、こんなマッチングが実現したのか。決して、将来性を見込んでの超青田買い面接ではない。実は、同席した女性は彼女の母親。全研本社の社員なのだ。

同社が毎年行っている、七夕の願い事を実現する企画で、「経営学部を志望する娘に社長の話を聞く機会をください」という願いがあり、それに応える形でこの対談は実現した。お願いした母親の娘への熱い思いと、受けた社長の心意気が一致した格好だ。

どんどん熱を帯びた“特別講座”

スタート時はさすがに硬い表情だったTさん。だが、林社長の分かりやすいトーク術にいつの間にか、和んでいく。話題は、なぜいま、アジア各国が躍進しているのか、各分野で世界レベルに到達するためには何が重要なのか、そして、経営におけるマーケティングの重要性…など、「経営」をキーワードに多岐に渡った。

メモを取りながら真剣に耳を傾けるA.Tさん

メモを取りながら真剣に耳を傾けるTさん

普段、社員に語りかけるような内容もふんだんに盛り込まれていたが、Tさんはしっかりと食らいつく。その知能指数の高さに可能性を感じたのか、林社長のトーンも徐々に熱を帯びる。時に生い立ちも交えながら、赤裸々に自身をさらけるほどで、Tさんもプライスレスな“特別講座”にどんどん吸い込まれる。

「私は、経営というものを知らなくて大変苦労しました。もし、Tさんの年齢でそれだけの頭があれば、とうらやましいですね。出来るだけ早い段階で、やりたいことをみつけ、それを磨き上げていってほしいですね。飲食店でバイトするなら、企業のインターンシップに積極的に参加し、内側から経営の一端に触れるといいと思います。本当にすごい可能性を秘めていると思います」と林社長は、Tさんの潜在性を絶賛しつつ、迷走しない社会人になるためのアドバイスを贈った。

100回の授業より、1回の帝王学?

2時間に及ぶ、初体験を終えたTさんは、「お話の中には授業で習ったこともありましたが、その時は全然ピンと来ていませんでした。でも、きょうお話を聞いて、ストンと腹に落ちてきました。経営を学ぶと決めていましたが、正直よく分からない部分もありましたけど、きょうで明確になりました」と目を輝かせながら感想を語り、自身の進路に目を向けた。

最後は将来に期待してガッチリ握手して特別講座は幕を閉じた

最後は将来に期待してガッチリ握手して特別講座は幕を閉じた

若者離職率は、久しく3割前後で推移。昨今は、先の見えない景気動向もあり、将来に希望を見いだせない若者も増えている。確かに高度成長期に比べれば、いまの若者は不遇かもしれない。だが、早い段階で働く“現場”を知ることで、職業や企業選びの目は確実に磨かれる。そうしたことを踏まえてか、企業のインターンシップはこの5年で743社から8,500社以上に激増。実施の前倒しも進んでいる。

とはいえ、今回の企画のように経営トップに学生がアプローチするのは至難の業。Tさんのように、親が社長にお願いするのも一手だが、それとて簡単ではないだろう。それでも希望を捨てることはない。林社長が明かす。

「もしも、Tさんのように興味本位でなく、本気で経営に触れたいと思う女子高生が手紙などでお目当ての経営者にその思いを伝えれば、6割の経営者は会ってくれると思いますよ」。これは、将来を悲観する若者にとって、何とも心強いお言葉だろう。逆にいえば、自ら動けば、不可能なことはない。将来を決めるのは、学歴や景気動向ではない。自分自身だ。そんなメッセージということかもしれない。

美容業界の歪んだ人材構造に働き方変革と雇用形態の柔軟性で切り込む

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(株)アルテサロンホールディングス
会長 吉原直樹氏

美容業界を担う美容師は、年々成り手が減少し、人材不足が顕在化しつつある。元凶はその歪んだ人材構造にある。この難題に、ビジネスモデルで果敢に切り込むのが、Ashなどを運営する(株)アルテサロンホールディングス会長の吉原直樹氏。メンテナンス系の新業態『Choki Peta』は、効率化を推し進めることで、9割をパートで回す。今後数年で、その出店を加速させる先に同氏が見据えるのは、休眠・潜在美容師の最大化による人材構造の“健全化”だ。
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新業態に注力する狙い

美容業界の人材は、減少傾向に歯止めがかからない。トップになるのは限られた人材のみ。30歳を過ぎても続けていくには、収入がおぼつかない。女性の場合、出産や育児で一度職場を離れると、技術が古くなり、復帰も困難だ。美容師免許を持ちながら美容師の仕事についていない“休眠美容師”は約76万人ともいわれる。こうした状況の中、2011年にメンテナンスニーズに着目し、同社が参入した新業態がChoki Peta。2016年までに順調に成長を続け、来年以降は、投資を強化。一気に攻めに出る。

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吉原 美容業界は、消費マインドが冷え込む中で、節約意識の高まりや来店サイクルの長期化などで売り上げの微減傾向が続いている。そうした中で、サロンはデザイン系の付加価値型とメンテナンスサロンの二極化が進んでいる。メインブランドのAshはその質を高め、メンテンナンスサロンのChoki Petaは多様化する顧客ニーズに応えるサロンとして弊社は今後、効率性と量的拡大を追求していく。

潜在美容師が滞留する業界の人材構造にカットイン

Choki Petaの拡大戦略の背景には、節約志向の顧客ニーズに応える目的があるとする吉原氏。実はそれ以外にもう一つのミッションがある。約76万人ともいわれる潜在・休眠美容師の掘り起しだ。

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吉原 気軽に足を運べるメンテンナンスサロンの顧客は40歳以上が中心。一方で、現役の美容師はそれ以下の年齢層がほとんど。顧客にとっては、自分に年齢が近い美容師にサービスを受ける方がコミュニケーションの点でも好ましいが、そうした年配美容師の多くは“休眠”している。ここにまさに顧客ニーズと雇用ニーズの一致がある。Choki Petaは、カットとカラーのみという業態。受け付けには券売機を設置、シャンプーにはオートシャンプーを導入し、スタッフの業務負荷を最小限にしている。可能な限り生産性を高め、効率的に働ける職場なので、子育て中のママさん美容師から体力的に難しい中高年の美容師まで幅広い層が活躍できる。特に40代以降の休眠美容師にとって復帰への障壁となる技術下落への不安も、まずはカラーから入ってもらうことで、スムースに戻れると考えている。カットについては、定期研修等によって徐々に感覚を取り戻してもらえばいい。

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ビジネスモデルと自動化の推進で解消する人材のよじれ

美容師の場合、さらなる障壁として、就業時間の長さや土日出勤などがネックになる。子育て中ならなおさらだ。効率化など労働環境を改善したとはいえ、すでに別の仕事についている人材にとって、やはり復帰へのハードルは高そうだが、その点はどうクリアするのか。

吉原 9割をパートタイムで対応している。1日3時間からでも、週一の勤務でもOKだ。時給制なので、取り決めた時間に帰れるし、土日もシフトの調整で休める。それでも時給は1,350円の実績もある。月ごとに変動するが、繁閑を店舗ごとに見極め、人員調整することで、生産性を高められれば、翌月の時給をアップするシステムを導入している。それを有効活用することで、メリハリのある働き方が可能だ。各自のライフプランにあった働き方が選択できる美容室になっている。

2020年までに新業態の100店舗超え目指す

美容業界の“負”の部分をビジネスモデルとテクノロージの活用で最小限に抑え、潜在美容師の活用を最大化する--。やむなく美容の世界から離れていた美容師にとっては、まさに願ったりの復帰への道筋だ。美容業界の歪んだ人材構造を解消するだけの動きにまで発展させる上でキーとなるのは出店ペース。今後、Choki Peta出店をどこまで加速させるのか。yoshihara2

吉原 メインブランドのAshの3分の一程度のコスト感なので、コンスタントな出店が可能だ。立地は働きやすさも考慮して、ショッピングセンター内限定で15坪程度。当面の目標は、2020年までに100店舗突破を考えている。物販も含め、安かろう悪かろうではなく、あくまでも品質はキープし、それ以外の部分でコストを削減し、上質なサービスをリーズナブルに提供する店舗としてのポジションを確立する。それによって、休眠美容師を一人でも多く掘り起こし、美容業界の人材問題にも切り込みたい。一億総活躍社会が叫ばれているが、Choki Petaではいま、主に40代から60代までの美容師が活躍している。もちろん、可能なら70歳を超えて働いてもらっても結構だ。Choki Petaは、そうした人材が存分に活躍できる受け皿として機能すると考えている。


<プロフィール> 吉原 直樹
株式会社アルテ サロン ホールディングス1956年神奈川県生まれ。1978年埼玉大学教育学部卒。2014年9月中央大学MBA(経営学修士)取得。1978年4月タカラベルモントに入社。 1981年美容室チェーンに転職し、店舗開発、店舗運営を手がける。28歳で自らも美容師免許を取得するため、美容学校に入学。31歳で美容師免許を取得。1986年に個人事業主として横浜市に美容室を開業、88年に有限会社アルテを設立。ロンドンのヴィダル・サスーンアカデミーの受講、数多くのカットコンテストへの挑戦、現場に立っての陣頭指揮等、美容師としてのキャリアを積む。 東京、神奈川を中心に「Ash」ブランドの「のれん分けフランチャイズ方式」という美容師の独立支援システムで業績を伸ばし、2004年8月にJASDAQに上場を果たす。2006年7月に(株)ニューヨーク・ニューヨークを、2007年1月(株)スタイルデザイナーを子会社としてグループに取り込み、日本最大の美容グループを統べるに至る。 現在、(株)アルテ サロン ホールディングス代表取締役会長、(株)アッシュ代表取締役社長、(株)東京美髪芸術学院学院長、(株)ダイヤモンドアイズ代表取締役社長および(株)シーエフジェイ代表取締役社長を務める。

私が難問を解き、斬新なアイディアをひねり出せる秘密

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変人・安田の境目コラム

私の仕事は「代わりに考える屋さん」

私は、境目研究家であり、BFIの社長であり、取引先の顧問であり、いくつかの会社の役員でもあります。一体何屋さんなのだ?と、よく聞かれます。私は「考えないといけない事を、代わりに考える屋さん」なのです。

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友達と親友の境目とか、嘘つきと正直者の境目とか、誰にも考えてもらえない境目を、代わりに考えて定義していく。それが境目研究家の仕事です。いい会社とはどういう会社か。顧客が集まる会社とはどういう会社か。みんなが働きたくなる会社とはどういう会社か。そういう事を勝手に考えて商品化するのが、BFIの社長の仕事です。

自社の強みは何か。売るべき商品は何か。どういう人材を採用すべきか。どうやって販売するのか。社長の代わりにそういった事を考えるのが、顧問や役員の仕事です。

大事なことなのだけれども、誰も考えない。考えないといけないけれども、時間がない。考えているけれども、いいアイデアが浮かばない。そういう時に、代わりに考える仕事。それが自分の役割だと定義しております。

どうやって、すぐれたアイディアをひねり出すのか

社長の代わりに考えるなんて凄い。どうやったらアイデアが浮かぶのか。そう驚かれる事が多いのですが、実情は至って簡単です。

相談されたら、その場でアイデアを出す。これは実はなかなか難しい。というか、私にはそんな能力はありません。だから先に考えておくのです。相談される前に、誰にも頼まれてもいないのに、勝手に考える。これが私の仕事のやり方です。

人間とは何なのか。お金とは何なのか。ビジネスはどういう仕組みで動いているのか。そういう普遍的な疑問。この会社の強みは何か。強みを活かした商品とは何か。自分だったらどうやって売るのか。そういう具体的な疑問。

それらの疑問について、頼まれてもいないのに、勝手に考えるわけです。なぜかと言うと、それが私の商品だからです。

勝手に考えたアイデア。勝手に考えた商品。それを、求められた時に披露する。ただそれだけのことなのです。


<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)
yasuda21965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。最新刊「自分を磨く働き方」では、氏が辿り着いた一つの答えとして従来の働き方と180度違う働き方を提唱している。同氏と差しで向き合い、こだわりの店で食事をし、こだわりのバーで酒を飲み、こだわりに経営について相談に乗ってもらえる「こだわりの相談ツアー」は随時募集中(http://brand-farmers.jp/blog/kodawari_tour/)。


人材不足時代にフリーランスが注目される理由とは

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フリーランスは雇用スタイルの主流になれるのか

複業時代到来の足音が着実に強まっている。一方で、本業以外に仕事をすることに二の足を踏む会社員がまだまだ多数派という実状もある。2017年1月、複業ワーカーを含む「プロフェッショナル&パラレルキャリア フリーランス協会」を立ち上げた共同代表の田中美和氏に、協会の役割やこれから、複業時代の展望などについて聞いた。

フリーランス協会が担う役割とは

--協会はフリーランスやパラレルワーカーの就労環境の安定などを目的に立ち上げられた。フリーランスの活動をサポートする企業も加盟する組織構成となっているが、具体的にどういった支援のカタチになっていくのか。

田中 ご存知のようにいま、大企業が副業・兼業を解禁するなど、パラレルな働き方がトレンドとなりつつあります。フリーランスやパラレルに働くプロフェッショナルも増加しています。そうした人材が、働きやすくする環境作りをしていきたいと考えていますが、まずはそこに踏み出せない人たちに、ロールモデルを示し、しっかりと認知してもらい、その裾野を広げて行くことが重要と思っています。

ーーフリーランスとして働きたい、という声はよく耳にします。一方で、不安から二の足を踏む人はたくさんいると感じます。この不安を解消することが、ひとつのきっかけになるようにも思えます。

田中 私どもが対象とするプロフェッショナルの定義は、専門性のあるスキルをしっかりと身に付けた方。例えば、ネットの中古品売買で収入を得るようなケースとは区別しています。その上で申し上げるとすれば、フリーランスやパラレルワークで安定して働くためにはやはり、複数の案件を常に抱えながらというのがリスクヘッジとなります。協会は、多くの会員が集うことによって、こうしたネットワークを広げる機能も持つことになると考えています。さらに、新たな知識・スキルを学習することで、一歩を踏み出せる場合もある。そういう人に対しては学習の場を提供することなどを検討しています。

フリーの活動支援企業が加盟することで厚くなる支援体制

ーーフリーの個人のネットワークだけでなく、フリーランスの活動を支援する企業が加盟していることが、そうしたことを後押しするのか。

田中 協会には私どものWarisを含め、フリーランスの活動をサポートする企業が20社以上加盟しています。それぞれが一社で出来ることは限られますが、まとまることで、サポートできる範囲が拡大します。フリーランスならではの確定申告をサポートしたり、フリーランスならではのリスクに備える保険などの支援体制が充実しています。

2017年1月に発足したフリーランス協会

ーー学習機会の提供や活動支援ツールの紹介は、確かにフリーランスにとって頼りになります。その他の部分で、協会に加盟するメリットは何があるでしょうか。

田中 フリーランスの情報発信は、どうしてもIT系やクリエイティブ系に偏りがちです。そうではなく、昨今は職人系のフリーランスも増加している。ネイリストや家事手伝い、コンサル系、人事や広報などのビジネス系にもすそ野は拡大しています。そうした分野までカバーし、フリーランスの実態をしっかりと理解してもらえる情報発信をしていきながらノウハウを蓄積し、働く環境の整備をしていきたい。加盟いただくことで、タイムリーにそうした情報の入手が可能になります。

ーーしっかりと実態を理解することで、「無知」の不安は解消されるかもしれません。それでも正社員の「安定」にすがる人の気持ちはそう簡単に動かないような気もします。

田中 これまでの働き方は確かに、一社に新卒から入り、長く勤めあげ、成長していくというのが主流でした。しかし、いまは本当に働く個人の価値観が多様化しています。フリーランスになりたいという人の中にも、起業までのつなぎとしてとか、NPOやNGOで活動しながら週3はフリーランスで生活費を稼ぐとか、大学院に通うとか…。本当にいろいろな方がおられます。もちろん、これまで通り、一社で勤め上げる人もいるでしょうが、選択肢は随分と増えています。

人材もシェアリングする時代に

ーーパラレルに働く人の多くは、稼ぎ以上に、自分のスキルを他社でも活用することに価値観を感じている人が多いと聞きます。

田中 これまで人材は、一社が囲い込むストック型でした。しかし、これからはシェアする時代になっていくのではないでしょうか。住まいや車のように人材もシェアする。そうなった時、私どもとしては、いかにキチンと案件をチェックし、適切な契約を結ぶか、という部分をしっかりサポートしていかなければと思っています。何らかの基準を設け、悪質な案件は受けないような評価の仕組みも必要になってくるかもしれません。フリーランスについては社会保険の問題も避けて通れないでしょう。

人材もシェアする時代に、と展望を語る田中氏

ーー最後に今後の展望をお願いいたします。

田中 おかげさまで、発足発表からほどなく、メルマガ会員が1500人を突破し、滑り出しは順調です。課題は少なくないですが、全国にある大小さまざまなフリーランスの協会のひとつの大きな船として目印になり、官とも連携しながら、フリーランスおよびパラレルワーカーのすそ野拡大に貢献していきたいと思っています。

お金を稼ぐ前に「お金を使う才能」があるかを知る重要性

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変人・安田の境目コラム

人としての器にもある、生まれ持ったサイズ

会社に適正サイズがあるように、人にも適正なサイズがある。この歳になって、ようやく、その事実に気がつきました。運動神経や、芸術のセンスなど、人には持って生まれた才能があります。人としての器もまた、生まれ持ったサイズがあるのです。

その器のひとつに、財布の大きさがあります。どのくらいのお金を稼ぐのか。どのくらいのお金を使うのか。それは、財布の大きさによって決まるのです。

努力すれば、誰だって金持ちになれる。私はずっと、そう信じてきました。だからこそ起業し、社長にもなったのです。でも私は、その器ではなかったみたいです。

努力が無駄だったとは思いません。実際に会社は大きくなったし、収入も増えました。そういう意味では、努力は報われたのです。ただ私の器が、その収入に見合っていなかったというだけ。

私の器は、せいぜい二~三千万円だと思います。それを超えて稼いでしまったために財布が壊れてしまったのです。そして私の価値観も、壊れてしまいました。

持って生まれた財布の大きさ。それは、お金を使う才能なのだと思います。才能のある人が持てば、お金は生きる。才能のない人が持てば、お金は死ぬ。

お金を使う才能。それは単にお金を増やす才能ではありません。世の中にとって、そして、たくさんの人にとって、役に立つ使い方をする才能なのです。

お金を使う才能がない人が大金を稼ぐと起こる悲劇

もちろん私も、人の役には立ちたい。とくに身近な人の役に立ちたい。だから社員をグリーン車に乗せ、給料もたくさん払ったのです。

でも結果的には、役に立ちませんでした。高すぎる給料も、度を過ぎた福利厚生も、誰の為にもならない。私はそれを、思い知らされました。

才能のない人には、お金を持たせてはならない。器を超えたお金は、本人のみならず、周りも不幸にする。それが私の得た教訓です。それは会社のお金だけでなく、個人のお金でも同じなのです。

自分には、どのくらい、稼ぐ才能があるのか。自分には、どのくらい、使う才能があるのか。稼ぐ才能と、使う才能の、バランス。それを知ることが、とても重要なのです。

経営者として使うお金。個人として使うお金。社長に復帰するにあたり、私はその上限を決めました。どんなに稼いでも、それ以上には使わない。それが世のため、人のため、そして、自分自身のためなのです。


<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)
yasuda21965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。最新刊「自分を磨く働き方」では、氏が辿り着いた一つの答えとして従来の働き方と180度違う働き方を提唱している。同氏と差しで向き合い、こだわりの店で食事をし、こだわりのバーで酒を飲み、こだわりに経営について相談に乗ってもらえる「こだわりの相談ツアー」は随時募集中(http://brand-farmers.jp/blog/kodawari_tour/)。

働く人が幸せになる仕組みをつくった経営者は何を重視したのか

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個人事業主がハッピーになるプラットフォーム運営の極意とは

会社が就労環境の整備に注力している。働き方改革の追い風もあるが、優秀な人材を確保するのがその名目だ。だが、どんなに耳触りのいい制度を導入しても、構造を変えなければ、表面をなぞるに過ぎない。移動スーパーを全国に張り巡らせ、2017年7月現在、69社のスーパーと提携し、38都道府県で230台が稼働しているとくし丸。ここでは、事業に関わる個人事業主(販売パートナー)、スーパー運営企業、そして、運営する株式会社とくし丸の3者ともハッピーな関係が構築されている。なぜこんなことが可能なのか。その秘密を代表である住友達也氏に直撃し、探った。

買い物難民を対象にする移動スーパーがなぜ、躍進するのか

とくし丸は2012年、移動スーパーで買い物難民を救済することを目的に徳島県で誕生した。全国には、約700万人もの買い物難民がいるといわれる(2015年経産省調査)。買い物もままならないお年寄りが、全国に点在している。徒歩圏にコンビニもないようなエリアは、放っておけば機能不全を起こす。そこを埋めるのが、移動スーパー・とくし丸の役割であり、マーケットだ。

それぞれのマーケットは決して大きくない。だが、切実なニーズがある。そこが、とくし丸が、関わる誰もを幸せにするビジネスモデルたる重要なポイントといえる。買い物をしたくても満足にできない。とくし丸を支える販売パートナーは、この不便を食品の移動販売によって直接解消し、喜びという対価をもらう。売り上げももちろんだが、対面による応酬が、その喜びを増幅させる。

あくまで販売パートナーを優先する運営哲学

販売者と消費者の満足。ここまではなら、ビジネスとして到達することもそれほど難しくはないかもしれない。最も重要な要素は、これを経営するトップのスタンスだ。十分とはいえないマーケット規模だけに、儲けを優先するならマージンを多めに取りたくなる。だが、住友代表は、あくまでも販売パートナー優先の手数料の仕組みを導入。販売パートナーと対等に近い立場での運営を選択した。

「契約はテイガク制にしています。テイガクは『定額』と『低額』です。商品供給先のスーパーからロイヤリティとして月3万円だけいただく。あとは頑張った分だけ販売パートナーと提携スーパーが儲かる仕組み。その意味で、いわゆるフランチャイズとは別物です。本部が利益を吸収するだけにみえるFCの仕組みでは、頑張った人が疲弊するだけ。それでは長く続かない」と住友代表は、とくし丸の運営哲学を明かす。

とくし丸ではなぜ、誰も不幸にならないのか

販売パートナーは、買い物難民のために商品を販売し、商売と同時に地域課題を解決する。とくし丸本部は、最低限のロイヤリティだけを徴収し、その活動のサポートに全力を尽くす。販売パートナーは、売れば売るほど、感謝を増やし、本部は、提携スーパー、そして販売パートナーを増やすことで収益を上げ、経営を安定させる。全ての活動が有機的にリンクし、頑張りがストレートに前進につながる仕組み。だから、どのパートでもその眼前には明るい前途がある。

これを会社にあてはめるとどうだろう。課題を抱える顧客がいるマーケットに、それを解消できるサービスを投入。経営者は、その利益の多くを社員に還元する。そんな仕組みで回っていれば、社員はやりがいにあふれ、自ずと自立し、結果、売り上げも安定するだろう。報酬も比例して伸びていくことでモチベーションはさらに高まる。会社は利益が多少少なくなったとしても、将来的には揺るぎない経営の安定につながる。そう考えれば投資の観点でもその効果は絶大だ。

四半世紀黒字経営を続けた経営者も感じる会社経営の限界

シンプルなようだが、これができる企業は残念ながら少ないのが実状といえる。23歳から出版社を立ち上げ、以降23年間赤字ゼロで経営をしてきた過去もある住友氏は、その当時をこう述懐する。「最初は、純粋にやりたいことをやって会社を大きくしていったんです。でもある時から社員の待遇をよくしてあげようとかそういう思いも入ってきて、創業時の思いからかけ離れ、本末転倒のようになってきてね」。優良企業の“経営経験者”でもこう語るのだから、会社というスタイルでは、理想の組織を追求するには限界があるということなのかもしれない…。

一度は引退し、とくし丸で再始動するにあたって「たくさん儲けるつもりはなった」と振り返る住友代表。もちろん、利益度外視ということではないが、そうした姿勢が、テイガク制につながり、販売パートナー、提携スーパーとの関係をギスギスさせない根底にあることは確かだろう。そうだとすれば、経営者にとってはこの理想的な関係の構築はますます困難に思えるが、手がかりはあるハズだ。後編では、運営者・住友氏にさらにフォーカスし、その秘密と今後に迫る――。(後編に続く)


<とくし丸トピックス1>10円ルール
とくし丸では1商品につき、10円を店頭価格にプラスして販売する。ここからでる利益を販売パートナーと提携の地域スーパーに5円ずつ還元する。決して多くない利益の中で、受益者となる顧客に少し負担してもらい、売り上げを増やすためだ。


【会社概要】
会社名:株式会社 とくし丸
(2016年5月よりオイシックスドット大地(株)の子会社)
設立:2012年1月11日
代表取締役:住友達也
所在地:徳島県徳島市南末広町2-95 あわわビル3F
URL:http://www.tokushimaru.jp/

個人事業主が大資本に負けないための“戦術”とは

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マイクロな移動スーパーをいかにして全国に張り巡らせたのか

ローカルスーパーと個人事業主のタッグで、買い物難民を救済する移動スーパー・とくし丸。順調に拡大するそのネットワークは、巨大資本に引けを取らない。その状況を、小さな魚が群れをなし、大きな魚のカタチなって大きな敵を撃退するスイミーの物語に例える住友代表。その商売の哲学には、個人事業主やフリーランスが、荒波に飲み込まれることなく市場で生き残るためのヒントが凝縮されている。(前編から続く)

マイクロスーパーはなぜ巨大スーパーに太刀打ちできるのか

徳島を拠点に全国にネットワークを広げるとくし丸。その拡大は、販売パートナー、そして提携スーパーの増殖とイコールだ。買い物難民は、スーパーにとって潜在顧客。販売パートナーは、それを移動スーパーですくい上げる。その意味で、スーパーにとって、とくし丸は、提携するメリットこそあれ、デメリットはない理想的なパートナーといえる。

「創業当初、提携交渉をする際に、あるスーパーさんから『こんな条件でいいんですか』といわれたんです。この時、『これはいける』と確信しましたね」。住友代表はそう述懐する。月3万円という“テイガク”制は、フランチャイズの感覚を基準にすれば、破格の安値。裏を返せば、とくし丸にはそれ以上の大きな価値があるということでもある。

大スーパーとの連携でみえてきた次のステージ

だからこそ、住友代表は現状に満足はしていない。「当初描いていた成長軌道よりはかなり遅いペース」ともどかしさも見せる住友氏。創業から5年がたち、競合も出始めており、とくし丸はひとつのターニングポイントを迎えている。

「同じ様なことをやるところが出てくるのは構わない。でも、フランチャイズのように大資本が利益を吸い上げるのではなくて、頑張った人が適切に報われる仕組みをとくし丸でつくりあげたい。小さな魚が大きな魚のカタチをつくり、でっかい魚を撃退する。提携スーパーや販売パートナーを小さい魚に例えるのは少し気が引けるけど、まさにスイミーの物語のイメージ。いまの時代、スーパーにとっては提携しない方がリスクだと思っています」と住友氏は力説する。

忍び寄る巨大な影。それでも、住友氏は泰然自若だ。「ここへきて、ベルク・関西スーパー・いなげや・コモディイイダなど50店舗以上を有する大型スーパーとの提携も決まり、ようやく次のステージもみえてきた。それと並行していま、私はとくし丸の付加価値づくりに力を入れています」と住友氏は明かす。「付加価値」とは、拡がる販売ネットワークが秘める価値の最大化と販売パートナーおよび顧客の満足度の向上に他ならない。

小さくても強固なネットワークから生まれる付加価値

とくし丸の販売パートナーは、買い物難民の居住地を線で結び、販売ルートを決定する。その目的はあくまで買い物難民の救済。だから、時には売り上げが見込まれてもルートから外すこともある。そこまでポリシーを徹底しているから、顧客とのつながりは昨今では考えられないほど強固になっている。その強力なパイプは、他ではとうてい入り込めない。だから、とくし丸経由で企業がサンプリングやアンケートなどを実施すれば、驚くほどの回答率と中身の濃さでリターンが集まる。

利益は重視しないとくし丸だが、こうした取り組みを実施する際には、販売パートナーに別途手数料を支払う。移動販売はボランティアではない。ましてやプラスアルファの頑張りとなる以上、報いがあるのは当然という住友氏の哲学だ。ここまで徹底しているから、とくし丸は、常に提携企業の期待を上回る結果を弾き出す。競合の出現にも平然としていられるのは、このレベルにまで販売者と消費者の関係を構築することがどれだけ大変かを熟知しているからでもある。

食品販売がメインのとくし丸は、ここへきて試験的ながら衣料品やメガネなどの販売も始めた。利用者アンケートから、ニーズの高いものをチョイスし、消費サイクルに合わせてとくし丸のルートを回る方式。車は専用車で、通常のとくし丸とは一線を引く。需要に応じての商品選定だけに利用者からは高い満足度の評価を受けている。現場からのささいな声もしっかりと吸い上げ、タイムリーに改善を繰り返しながらその付加価値を高めるとくし丸は、すでに買い物難民になくてはならない存在にまで進化している。

4方よしの関係で積み上がる信頼と生まれる安定

とくし丸の安定は、個人事業主である販売パートナーや提携スーパーの安定と同義。販売パートナーの積み上げる信頼は、とくし丸の何よりの財産だ。この一心同体の関係は、まさに“スイミー”そのものといえる。昨今、フリーランスで働く人が増加しているが、とくし丸の様なフリーランスに寄り添う心強い存在がないことで、なかなか「安定」を享受できていない現状がある。住友氏の様な視点を持つプラットフォーマーがいれば、その可能性は広がりそうだが、ないものねだりをしても仕方がない。

その運営スタイルにさらに踏み込めば、成功のヒミツは一層、鮮明になる。町の個人商店に入り込まない「半径300mルール」、「売り過ぎない、捨てさせない」という販売ポリシー、販売パートナー同士のエリア重複厳禁、販売パートナーの採用は人柄重視…。売り上げ至上主義のビジネスとは一線を画すその運営方針は愚直なまでに誠実さにあふれる。

誠実は商売で最大級の力を発揮する。だが、巨大資本の前では微力でしかない。だからこそ、群れを成す必要がある。社会課題の解消までしてしまう移動スーパーが配る誠実は、個々が小さくても日本を救う力にもなる。さらなる飛躍の土台へ足をかけるとくし丸のこれからの動きは、ターニングポイントにある働き方改革や高齢社会の行く末を占う意味でも注目される(了)。

◆インタビュー前編→
働く人が幸せになる仕組みをつくった経営者は何を重視したのか


<とくし丸トピックス2>面接基準
単に食品を販売するだけでなく、地域の課題を解決し、高齢者との接点も多くなる販売パートナー。ミドル世代の転職組が多く、最近は女性販売パートナーが増加傾向で全体の18%を占める。面接での採用基準は人柄徹底重視。住友氏は「自分の母親のところに売りに来られても大丈夫か」を最終判断にしているという。能力があるだけは難しいことから、その合格率は5割ほどだそうだ。


【会社概要】
会社名:株式会社 とくし丸
(2016年5月よりオイシックスドット大地(株)の子会社)
設立:2012年1月11日
代表取締役:住友達也
所在地:徳島県徳島市南末広町2-95 あわわビル3F
URL:http://www.tokushimaru.jp/

会社の常識の捉われない働き方はいかにして生まれたのか

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時間密度の高め方 ~百社百様の生産性向上~

(株)オトバンク【後編】

出社は各自の裁量でOK。それは、当日に急きょ変更があっても許される。出欠の伝達法としては、ややルーズな印象だが、その情報は即座に全員に共有される。ルートは、専用のチャットツールだ。何かするときは基本、このチャットで全社員に情報が行き渡る。

前編→社長はなぜ、満員電車での通勤を禁止したのか

各自に裁量を大幅に委譲する同社のワークスタイル。自由度の高いそのスタイルは、実はこの情報伝達のスタイルが可能にしているといっていい。単にチャットにより情報伝達がスムーズに行えるから、という次元の話ではない。これによって発生するやり取りが、フラットで自由な同社の組織運営の課題をクリアする肝になっているのだ。

課題とはズバリ、評価だ。同社では基本、各自が主体的に動く。会社に貢献することが前提だが、その内容も各自に大幅に委ねられる。もちろん、その前提となる業務プランは上司とすり合せるが、そこに売り上げ目標といった項目は基本ない。いかに同社の行動指針に沿い、設定した目標に対する成果を出せているか。そこが、評価のポイントとなる。直属の上司なら、当然評価はできる。だが、数字を伴わない評価だけに、役員クラスとなると目が行き届きようもない。そこで重要になるのが、チャットでのやり取りだ。

社会人になる前後に生じた就職への絶望感が生んだ常識に捉われない働き方

「役員クラスも共有しているチャットは、評価における大きな参考になっています。チャットへの対応の仕方で業務がうまくいっているかはおおよそ分かります。そもそも、弊社は失敗しないことを評価にはしません。そうしたことも含め、チャットで可視化されたやり取りで社員のかなりの部分は見通せます」と久保田社長は明かす。

それでいて、久保田社長はチャットを介し、社員へのアドバイスは基本しないという。「それをやるとみんな僕の方を見てしまうから。それでは主体性が生まれない」と久保田社長。経営者としては、つい口を出したくなるところだが、そこを踏みとどまれるから、やや特殊な運営スタイルの同社もうまく回っているといえるのだろう。

学生時代にインターンとして、創業間もない同社に合流し、いまに至る久保田社長。その当時は、就職に対し、疑心暗鬼だったという。「学生時代は、普通に就職することに全然前向きになれませんでした。ウツに近いくらいの状態。そこで、いくつかの企業に入って、いろいろ分析しました。儲かっているのになぜか辛そうな人が多い会社。待遇以上に楽しそうにしている人が多い会社…。そういう分析から、どうすればみんなが気持ちよく働けるかを考えていました」と久保田社長は振り返る。

就職前から働き方と真摯に向き合っていた少し特殊といえる久保田社長の経歴。だから、社長として会社づくりにはかなりこだわっている。なにより特徴的なのは、同社には人間関係の問題がほとんどないこと。社員が会社を辞める理由のアンケート調査では常に上位にランクされる問題がないのだ。もちろん「自称」ではない。紛れもない事実だ。その理由はいたってシンプル。「どんなに優秀でもスキルや能力では採用しない。人間を見る時間を長く取って、明確に合わない人間は採用しないんです」(久保田社長)。普通の会社ならついスキルや能力にひかれ、簡単でないが、同社では合わないと判断すれば断固ノーを貫く。

早い段階で、企業に所属して働くことの難しさや悩ましさを悟っていた久保田社長。だから、一般的には正しいとされる経営スタイルに容易になびくことはない。個々の社員が能力を最大限に発揮し、全開で働ける。それが、最も強い組織を創りだす--。感覚的にそれを分かっているから、無用なルールはわざわざ設けない。いわばアンチ会社の常識。創業時からそうした血が流れる同社が、優秀な人材をひきつけながら着実に業績を伸ばしている事実は、働き方が過渡期にある中で、ひと際まばゆく、痛快だ。(続く

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