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Channel: 代表 –【瓦版】

お金を稼ぐ前に「お金を使う才能」があるかを知る重要性

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変人・安田の境目コラム

人としての器にもある、生まれ持ったサイズ

会社に適正サイズがあるように、人にも適正なサイズがある。この歳になって、ようやく、その事実に気がつきました。運動神経や、芸術のセンスなど、人には持って生まれた才能があります。人としての器もまた、生まれ持ったサイズがあるのです。

その器のひとつに、財布の大きさがあります。どのくらいのお金を稼ぐのか。どのくらいのお金を使うのか。それは、財布の大きさによって決まるのです。

努力すれば、誰だって金持ちになれる。私はずっと、そう信じてきました。だからこそ起業し、社長にもなったのです。でも私は、その器ではなかったみたいです。

努力が無駄だったとは思いません。実際に会社は大きくなったし、収入も増えました。そういう意味では、努力は報われたのです。ただ私の器が、その収入に見合っていなかったというだけ。

私の器は、せいぜい二~三千万円だと思います。それを超えて稼いでしまったために財布が壊れてしまったのです。そして私の価値観も、壊れてしまいました。

持って生まれた財布の大きさ。それは、お金を使う才能なのだと思います。才能のある人が持てば、お金は生きる。才能のない人が持てば、お金は死ぬ。

お金を使う才能。それは単にお金を増やす才能ではありません。世の中にとって、そして、たくさんの人にとって、役に立つ使い方をする才能なのです。

お金を使う才能がない人が大金を稼ぐと起こる悲劇

もちろん私も、人の役には立ちたい。とくに身近な人の役に立ちたい。だから社員をグリーン車に乗せ、給料もたくさん払ったのです。

でも結果的には、役に立ちませんでした。高すぎる給料も、度を過ぎた福利厚生も、誰の為にもならない。私はそれを、思い知らされました。

才能のない人には、お金を持たせてはならない。器を超えたお金は、本人のみならず、周りも不幸にする。それが私の得た教訓です。それは会社のお金だけでなく、個人のお金でも同じなのです。

自分には、どのくらい、稼ぐ才能があるのか。自分には、どのくらい、使う才能があるのか。稼ぐ才能と、使う才能の、バランス。それを知ることが、とても重要なのです。

経営者として使うお金。個人として使うお金。社長に復帰するにあたり、私はその上限を決めました。どんなに稼いでも、それ以上には使わない。それが世のため、人のため、そして、自分自身のためなのです。


<プロフィール>安田佳生(ヤスダヨシオ)
yasuda21965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年ワイキューブを設立。著書多数。2006年に刊行した『千円札は拾うな。』は33万部超のベストセラー。新卒採用コンサルティングなどの人材採用関連を主軸に中小企業向けの経営支援事業を手がけたY-CUBE(ワイキューブ) は2007年に売上高約46億円を計上。しかし、2011年3月30日、東京地裁に民事再生法の適用を申請。その後、個人で活動を続けながら、2015年、中小企業に特化したブランディング会社「BFI」を立ち上げる。経営方針は、採用しない・育成しない・管理しない。最新刊「自分を磨く働き方」では、氏が辿り着いた一つの答えとして従来の働き方と180度違う働き方を提唱している。同氏と差しで向き合い、こだわりの店で食事をし、こだわりのバーで酒を飲み、こだわりに経営について相談に乗ってもらえる「こだわりの相談ツアー」は随時募集中(http://brand-farmers.jp/blog/kodawari_tour/)。


働く人が幸せになる仕組みをつくった経営者は何を重視したのか

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個人事業主がハッピーになるプラットフォーム運営の極意とは

会社が就労環境の整備に注力している。働き方改革の追い風もあるが、優秀な人材を確保するのがその名目だ。だが、どんなに耳触りのいい制度を導入しても、構造を変えなければ、表面をなぞるに過ぎない。移動スーパーを全国に張り巡らせ、2017年7月現在、69社のスーパーと提携し、38都道府県で230台が稼働しているとくし丸。ここでは、事業に関わる個人事業主(販売パートナー)、スーパー運営企業、そして、運営する株式会社とくし丸の3者ともハッピーな関係が構築されている。なぜこんなことが可能なのか。その秘密を代表である住友達也氏に直撃し、探った。

買い物難民を対象にする移動スーパーがなぜ、躍進するのか

とくし丸は2012年、移動スーパーで買い物難民を救済することを目的に徳島県で誕生した。全国には、約700万人もの買い物難民がいるといわれる(2015年経産省調査)。買い物もままならないお年寄りが、全国に点在している。徒歩圏にコンビニもないようなエリアは、放っておけば機能不全を起こす。そこを埋めるのが、移動スーパー・とくし丸の役割であり、マーケットだ。

それぞれのマーケットは決して大きくない。だが、切実なニーズがある。そこが、とくし丸が、関わる誰もを幸せにするビジネスモデルたる重要なポイントといえる。買い物をしたくても満足にできない。とくし丸を支える販売パートナーは、この不便を食品の移動販売によって直接解消し、喜びという対価をもらう。売り上げももちろんだが、対面による応酬が、その喜びを増幅させる。

あくまで販売パートナーを優先する運営哲学

販売者と消費者の満足。ここまではなら、ビジネスとして到達することもそれほど難しくはないかもしれない。最も重要な要素は、これを経営するトップのスタンスだ。十分とはいえないマーケット規模だけに、儲けを優先するならマージンを多めに取りたくなる。だが、住友代表は、あくまでも販売パートナー優先の手数料の仕組みを導入。販売パートナーと対等に近い立場での運営を選択した。

「契約はテイガク制にしています。テイガクは『定額』と『低額』です。商品供給先のスーパーからロイヤリティとして月3万円だけいただく。あとは頑張った分だけ販売パートナーと提携スーパーが儲かる仕組み。その意味で、いわゆるフランチャイズとは別物です。本部が利益を吸収するだけにみえるFCの仕組みでは、頑張った人が疲弊するだけ。それでは長く続かない」と住友代表は、とくし丸の運営哲学を明かす。

とくし丸ではなぜ、誰も不幸にならないのか

販売パートナーは、買い物難民のために商品を販売し、商売と同時に地域課題を解決する。とくし丸本部は、最低限のロイヤリティだけを徴収し、その活動のサポートに全力を尽くす。販売パートナーは、売れば売るほど、感謝を増やし、本部は、提携スーパー、そして販売パートナーを増やすことで収益を上げ、経営を安定させる。全ての活動が有機的にリンクし、頑張りがストレートに前進につながる仕組み。だから、どのパートでもその眼前には明るい前途がある。

これを会社にあてはめるとどうだろう。課題を抱える顧客がいるマーケットに、それを解消できるサービスを投入。経営者は、その利益の多くを社員に還元する。そんな仕組みで回っていれば、社員はやりがいにあふれ、自ずと自立し、結果、売り上げも安定するだろう。報酬も比例して伸びていくことでモチベーションはさらに高まる。会社は利益が多少少なくなったとしても、将来的には揺るぎない経営の安定につながる。そう考えれば投資の観点でもその効果は絶大だ。

四半世紀黒字経営を続けた経営者も感じる会社経営の限界

シンプルなようだが、これができる企業は残念ながら少ないのが実状といえる。23歳から出版社を立ち上げ、以降23年間赤字ゼロで経営をしてきた過去もある住友氏は、その当時をこう述懐する。「最初は、純粋にやりたいことをやって会社を大きくしていったんです。でもある時から社員の待遇をよくしてあげようとかそういう思いも入ってきて、創業時の思いからかけ離れ、本末転倒のようになってきてね」。優良企業の“経営経験者”でもこう語るのだから、会社というスタイルでは、理想の組織を追求するには限界があるということなのかもしれない…。

一度は引退し、とくし丸で再始動するにあたって「たくさん儲けるつもりはなった」と振り返る住友代表。もちろん、利益度外視ということではないが、そうした姿勢が、テイガク制につながり、販売パートナー、提携スーパーとの関係をギスギスさせない根底にあることは確かだろう。そうだとすれば、経営者にとってはこの理想的な関係の構築はますます困難に思えるが、手がかりはあるハズだ。後編では、運営者・住友氏にさらにフォーカスし、その秘密と今後に迫る――。(後編に続く)


<とくし丸トピックス1>10円ルール
とくし丸では1商品につき、10円を店頭価格にプラスして販売する。ここからでる利益を販売パートナーと提携の地域スーパーに5円ずつ還元する。決して多くない利益の中で、受益者となる顧客に少し負担してもらい、売り上げを増やすためだ。


【会社概要】
会社名:株式会社 とくし丸
(2016年5月よりオイシックスドット大地(株)の子会社)
設立:2012年1月11日
代表取締役:住友達也
所在地:徳島県徳島市南末広町2-95 あわわビル3F
URL:http://www.tokushimaru.jp/

個人事業主が大資本に負けないための“戦術”とは

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マイクロな移動スーパーをいかにして全国に張り巡らせたのか

ローカルスーパーと個人事業主のタッグで、買い物難民を救済する移動スーパー・とくし丸。順調に拡大するそのネットワークは、巨大資本に引けを取らない。その状況を、小さな魚が群れをなし、大きな魚のカタチなって大きな敵を撃退するスイミーの物語に例える住友代表。その商売の哲学には、個人事業主やフリーランスが、荒波に飲み込まれることなく市場で生き残るためのヒントが凝縮されている。(前編から続く)

マイクロスーパーはなぜ巨大スーパーに太刀打ちできるのか

徳島を拠点に全国にネットワークを広げるとくし丸。その拡大は、販売パートナー、そして提携スーパーの増殖とイコールだ。買い物難民は、スーパーにとって潜在顧客。販売パートナーは、それを移動スーパーですくい上げる。その意味で、スーパーにとって、とくし丸は、提携するメリットこそあれ、デメリットはない理想的なパートナーといえる。

「創業当初、提携交渉をする際に、あるスーパーさんから『こんな条件でいいんですか』といわれたんです。この時、『これはいける』と確信しましたね」。住友代表はそう述懐する。月3万円という“テイガク”制は、フランチャイズの感覚を基準にすれば、破格の安値。裏を返せば、とくし丸にはそれ以上の大きな価値があるということでもある。

大スーパーとの連携でみえてきた次のステージ

だからこそ、住友代表は現状に満足はしていない。「当初描いていた成長軌道よりはかなり遅いペース」ともどかしさも見せる住友氏。創業から5年がたち、競合も出始めており、とくし丸はひとつのターニングポイントを迎えている。

「同じ様なことをやるところが出てくるのは構わない。でも、フランチャイズのように大資本が利益を吸い上げるのではなくて、頑張った人が適切に報われる仕組みをとくし丸でつくりあげたい。小さな魚が大きな魚のカタチをつくり、でっかい魚を撃退する。提携スーパーや販売パートナーを小さい魚に例えるのは少し気が引けるけど、まさにスイミーの物語のイメージ。いまの時代、スーパーにとっては提携しない方がリスクだと思っています」と住友氏は力説する。

忍び寄る巨大な影。それでも、住友氏は泰然自若だ。「ここへきて、ベルク・関西スーパー・いなげや・コモディイイダなど50店舗以上を有する大型スーパーとの提携も決まり、ようやく次のステージもみえてきた。それと並行していま、私はとくし丸の付加価値づくりに力を入れています」と住友氏は明かす。「付加価値」とは、拡がる販売ネットワークが秘める価値の最大化と販売パートナーおよび顧客の満足度の向上に他ならない。

小さくても強固なネットワークから生まれる付加価値

とくし丸の販売パートナーは、買い物難民の居住地を線で結び、販売ルートを決定する。その目的はあくまで買い物難民の救済。だから、時には売り上げが見込まれてもルートから外すこともある。そこまでポリシーを徹底しているから、顧客とのつながりは昨今では考えられないほど強固になっている。その強力なパイプは、他ではとうてい入り込めない。だから、とくし丸経由で企業がサンプリングやアンケートなどを実施すれば、驚くほどの回答率と中身の濃さでリターンが集まる。

利益は重視しないとくし丸だが、こうした取り組みを実施する際には、販売パートナーに別途手数料を支払う。移動販売はボランティアではない。ましてやプラスアルファの頑張りとなる以上、報いがあるのは当然という住友氏の哲学だ。ここまで徹底しているから、とくし丸は、常に提携企業の期待を上回る結果を弾き出す。競合の出現にも平然としていられるのは、このレベルにまで販売者と消費者の関係を構築することがどれだけ大変かを熟知しているからでもある。

食品販売がメインのとくし丸は、ここへきて試験的ながら衣料品やメガネなどの販売も始めた。利用者アンケートから、ニーズの高いものをチョイスし、消費サイクルに合わせてとくし丸のルートを回る方式。車は専用車で、通常のとくし丸とは一線を引く。需要に応じての商品選定だけに利用者からは高い満足度の評価を受けている。現場からのささいな声もしっかりと吸い上げ、タイムリーに改善を繰り返しながらその付加価値を高めるとくし丸は、すでに買い物難民になくてはならない存在にまで進化している。

4方よしの関係で積み上がる信頼と生まれる安定

とくし丸の安定は、個人事業主である販売パートナーや提携スーパーの安定と同義。販売パートナーの積み上げる信頼は、とくし丸の何よりの財産だ。この一心同体の関係は、まさに“スイミー”そのものといえる。昨今、フリーランスで働く人が増加しているが、とくし丸の様なフリーランスに寄り添う心強い存在がないことで、なかなか「安定」を享受できていない現状がある。住友氏の様な視点を持つプラットフォーマーがいれば、その可能性は広がりそうだが、ないものねだりをしても仕方がない。

その運営スタイルにさらに踏み込めば、成功のヒミツは一層、鮮明になる。町の個人商店に入り込まない「半径300mルール」、「売り過ぎない、捨てさせない」という販売ポリシー、販売パートナー同士のエリア重複厳禁、販売パートナーの採用は人柄重視…。売り上げ至上主義のビジネスとは一線を画すその運営方針は愚直なまでに誠実さにあふれる。

誠実は商売で最大級の力を発揮する。だが、巨大資本の前では微力でしかない。だからこそ、群れを成す必要がある。社会課題の解消までしてしまう移動スーパーが配る誠実は、個々が小さくても日本を救う力にもなる。さらなる飛躍の土台へ足をかけるとくし丸のこれからの動きは、ターニングポイントにある働き方改革や高齢社会の行く末を占う意味でも注目される(了)。

◆インタビュー前編→
働く人が幸せになる仕組みをつくった経営者は何を重視したのか


<とくし丸トピックス2>面接基準
単に食品を販売するだけでなく、地域の課題を解決し、高齢者との接点も多くなる販売パートナー。ミドル世代の転職組が多く、最近は女性販売パートナーが増加傾向で全体の18%を占める。面接での採用基準は人柄徹底重視。住友氏は「自分の母親のところに売りに来られても大丈夫か」を最終判断にしているという。能力があるだけは難しいことから、その合格率は5割ほどだそうだ。


【会社概要】
会社名:株式会社 とくし丸
(2016年5月よりオイシックスドット大地(株)の子会社)
設立:2012年1月11日
代表取締役:住友達也
所在地:徳島県徳島市南末広町2-95 あわわビル3F
URL:http://www.tokushimaru.jp/

会社の常識の捉われない働き方はいかにして生まれたのか

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時間密度の高め方 ~百社百様の生産性向上~

(株)オトバンク【後編】

出社は各自の裁量でOK。それは、当日に急きょ変更があっても許される。出欠の伝達法としては、ややルーズな印象だが、その情報は即座に全員に共有される。ルートは、専用のチャットツールだ。何かするときは基本、このチャットで全社員に情報が行き渡る。

前編→社長はなぜ、満員電車での通勤を禁止したのか

各自に裁量を大幅に委譲する同社のワークスタイル。自由度の高いそのスタイルは、実はこの情報伝達のスタイルが可能にしているといっていい。単にチャットにより情報伝達がスムーズに行えるから、という次元の話ではない。これによって発生するやり取りが、フラットで自由な同社の組織運営の課題をクリアする肝になっているのだ。

課題とはズバリ、評価だ。同社では基本、各自が主体的に動く。会社に貢献することが前提だが、その内容も各自に大幅に委ねられる。もちろん、その前提となる業務プランは上司とすり合せるが、そこに売り上げ目標といった項目は基本ない。いかに同社の行動指針に沿い、設定した目標に対する成果を出せているか。そこが、評価のポイントとなる。直属の上司なら、当然評価はできる。だが、数字を伴わない評価だけに、役員クラスとなると目が行き届きようもない。そこで重要になるのが、チャットでのやり取りだ。

社会人になる前後に生じた就職への絶望感が生んだ常識に捉われない働き方

「役員クラスも共有しているチャットは、評価における大きな参考になっています。チャットへの対応の仕方で業務がうまくいっているかはおおよそ分かります。そもそも、弊社は失敗しないことを評価にはしません。そうしたことも含め、チャットで可視化されたやり取りで社員のかなりの部分は見通せます」と久保田社長は明かす。

それでいて、久保田社長はチャットを介し、社員へのアドバイスは基本しないという。「それをやるとみんな僕の方を見てしまうから。それでは主体性が生まれない」と久保田社長。経営者としては、つい口を出したくなるところだが、そこを踏みとどまれるから、やや特殊な運営スタイルの同社もうまく回っているといえるのだろう。

学生時代にインターンとして、創業間もない同社に合流し、いまに至る久保田社長。その当時は、就職に対し、疑心暗鬼だったという。「学生時代は、普通に就職することに全然前向きになれませんでした。ウツに近いくらいの状態。そこで、いくつかの企業に入って、いろいろ分析しました。儲かっているのになぜか辛そうな人が多い会社。待遇以上に楽しそうにしている人が多い会社…。そういう分析から、どうすればみんなが気持ちよく働けるかを考えていました」と久保田社長は振り返る。

就職前から働き方と真摯に向き合っていた少し特殊といえる久保田社長の経歴。だから、社長として会社づくりにはかなりこだわっている。なにより特徴的なのは、同社には人間関係の問題がほとんどないこと。社員が会社を辞める理由のアンケート調査では常に上位にランクされる問題がないのだ。もちろん「自称」ではない。紛れもない事実だ。その理由はいたってシンプル。「どんなに優秀でもスキルや能力では採用しない。人間を見る時間を長く取って、明確に合わない人間は採用しないんです」(久保田社長)。普通の会社ならついスキルや能力にひかれ、簡単でないが、同社では合わないと判断すれば断固ノーを貫く。

早い段階で、企業に所属して働くことの難しさや悩ましさを悟っていた久保田社長。だから、一般的には正しいとされる経営スタイルに容易になびくことはない。個々の社員が能力を最大限に発揮し、全開で働ける。それが、最も強い組織を創りだす--。感覚的にそれを分かっているから、無用なルールはわざわざ設けない。いわばアンチ会社の常識。創業時からそうした血が流れる同社が、優秀な人材をひきつけながら着実に業績を伸ばしている事実は、働き方が過渡期にある中で、ひと際まばゆく、痛快だ。(続く

奔放不羈を地でいく男が成し遂げた偉業と愚行

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株式会社誠/銀河ヒッチハイカーズ代表
星野誠

有言実行。この言葉から受けるのは、<言ったことに責任を持ち、必ずやり遂げる>という非常にデキる人間の印象だ。誠眼鏡の創業者・星野誠も言ったことは実現する。それも半端なことではないレベル。だが、星野にはなぜか別の4字熟語をあてはめたくなる。2014年の瓦版インタビューで「エベレスト登頂」を宣言。3年ぶりに再会した星野は、多くの土産話を携え、大いに語った。相変わらずの“行動先行主義”で周囲をかき回しながら歩んだ3年は、さらに濃密でスケールアップしていたのだが…。

3年前のインタビュー→行動を優先するとどんな人生になるのか…

奔放不羈な男の3年で成し遂げた偉業

「エベレストに登ります」。前回のインタビューでそう予告していた星野。登頂予定は2019年。ところが、それより2年も早い2017年秋、星野から連絡が来る。なんと7サミットを制覇したというのだ。行動先行主義は十分に認識していたが、前倒しで、さらに大きな偉業を達成したという報告に、星野のポテンシャルの高さに改めて驚かされた。ところが、会って話を聞いてみると、なんとも意外な展開が待っていた。

登山経験のない星野が、たった3年でエベレストどころか、7サミットを制覇。純粋に偉業だ。だが、星野の口からでてくるのは「たいしたことないんです」、「本当にスゴイ人は他にいますから」と謙虚なものばかり。自分の功績をひけらかすタイプではないものの、宣言したことを圧倒的なレベルで達成したのだから、少しは自慢してもいいだろう。それどころか、星野は「7サミット制覇は難しくはない。全てを捨てればいいんですから」と意味深な言葉を口にする。

スペシャリストとの出会いで加速した最高峰制覇

いつもの陽性な雰囲気こそ変わらないが、偉業達成で人間的に一皮むけたのか、ブレーキの使い方をマスターしたのか…。逞しさの様ななものも身につけた星野は、この3年の出来事をいつもの軽快な口調で語り始めた。まず実行したのが、エベレストへ登るための手がかりの調査。といっても、やったことはシンプルに登山家・三浦雄一郎氏へのコンタクトだ。さすがに本人とはつながらなかったものの、その流れから星野は、初心者向けのエベレスト登頂トレーニングに参加する機会を得る。ここで、エベレスト登頂のスペシャリストと出会い、少し遠い先の予定だった最高峰登頂は一気に現実味を帯びる。星野のエベレスト登頂への本気度を感じ取り、同氏が強力にサポートしてくれることになったのだ。

思わぬ形で強力なパートナーを得た星野は、完全にスイッチが入る。サポートを約束した同氏の力強いけん引に夢中で食らいつき、手始めにヨーロッパ最高峰のエルブルース(5,642m)にアタック。見事、制覇する。エベレスト登頂を宣言してわずか1年後のことだ。しかし、世の中そんなに甘くはない。実は、ここで星野は山登りの怖さをまざまざと体感する。「ホントにヤバかったです」と登頂こそ成功させたものの、死にそうな目にあったのだ。結果的にこのことが、星野のエベレスト登頂への思いを一気に加速させ、先述の意味深発現へとつながっていく。

最高峰制覇の順調さの裏で下した非情決断

いきなり7サミットのひとつをクリアした星野。だが、あくまで目標への1プロセスでしかない。エベレスト登頂のトレーニングはしっかりと継続しながら、星野は起業家としての活動もしっかりと行っていた。エイブルース下山後には、誠眼鏡の香港店に続き、長年の夢だったアトリエを同地にオープン。もちろん、いつもの行動先行主義で、実現まではドタバタ続きだ。それでも、2人の協力者の献身的なサポートを受け、2か月ほどのDIY改造の末、開店にこぎ着ける。2015年夏のことだ。ところが、苦労の末にオープンしたアトリエを、星野はわずか一か月で閉鎖。さらに香港店も縮小してしまう。

「エルブルースでの苦い経験から、中途半端な状態ではエベレストはもちろん、事業を成功させるのさえ到底無理と判断しました。それで事業の方はスッパリと捨てることにしました。2人の支援者には本当に申し訳ないと思っています。ひど過ぎますよね。いつか必ず恩返ししなきゃと思っています」。本当に申し訳なさそうに振り返った星野。「全てを捨てる」といった真意はまさにこの出来事のことだ。自分の目標達成ために身を粉にしてくれた支援者を斬り捨てる。そう捉えれば、非情極まりない男。夢のために断腸の思いで、現実を諦めた。そう捉えれば、究極の“バカ”、だ。

これまでも人を巻き込み、振り回す傾向は強かったが、さすがの星野もこの件は深く反省した。ところが、そのほんの数日後、星野はありえない行動を起こす。知人起業家との会合の中で、海外進出のハナシが浮上。その流れで、星野が東南アジア地区の現地法人代表に就任することになったのだ。まさに舌の根も乾かぬうちの大暴走。香港での支援者2人が聞けば激怒しそうな、信じられない非礼な展開だ。悪びれながらも星野は、インドネシアのIT企業の現地代表としての顔を新たに持つことになる--。(後編に続く)


<星野 誠 Makoto Hoshino>
(株)誠/銀河ヒッチハイカーズ代表。ほぼ思いつきで書き込んだ「人生のやったら面白そうリスト」に従い、前後関係無視、人間関係グダグダにしてでも突き進む“盲進”男。アイアンマンマラソン、宅建20日間合格、ゴビ砂漠250キロ…どれも未経験で無謀だが、結局達成してしまうから恐れ入る。2017年5月のエベレスト登頂は、予定の2年前倒しに加え7サミット制覇のオマケつき。もはや「無謀」というのは不適切な域に足した感のある有言実行男はいま、復活させた宇宙旅行社の代表として「いまできる人類最高地点に足跡を残すこと」を宣言し、宇宙産業での火星オリンポス山制覇を目指す。星野誠

ガンバ大阪を解雇された男はなぜ、東証マザーズ上場社長になれたのか

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所属チームからの解雇通告で即座に弾き出した自身のキャリアプラン

激戦のリユース業界にあって、急成長を続ける株式会社SOU。業界の常識に囚われず、常にチャレンジを続けながら躍進を続け、2018年3月22日には東証マザーズへ上場。業界トップ獲りを視野に入れながら、さらなる飛躍へ勢いを加速する。業界の風雲児として、会社をけん引する代表の嵜本晋輔氏は、高卒後、Jリーガーとなった異色のキャラ。プロ在籍期間はわずか3年だが、そのブレない決断力で、経営者としての辣腕をふるっている。

社会人デビューはガンバ大阪でJリーガーとして

高校卒業後、Jリーグガンバ大阪入り。サッカーをしている人間でもほんの一握りしかたどり着けない最高峰の舞台が、嵜本の社会人デビューだった。幼少から続けてきたサッカーではいつもチームの中心。とはいえ、プロとなれば話は別。嵜本にとってもまさかのオファーからJリーガーとしてのキャリアはスタートする。

スカウトが注目したスピードを活かし、最高ランクの舞台での定着を目指した嵜本。入団後、チャンスをもらうことも少なくなかったが、思うような結果を出せず、出場機会はわずかだった。そして、3年目の夏ごろ、非情通告を受ける。その後、JFLリーグへ移籍したが、目指す舞台への可能性が限りなく少ないことを悟り、キッパリと引退を決意する。

「何とか定着しようというモチベーションはもちろんありました。一方で、どう考えてもレベルが違う。JFLリーグでも、段階を踏んでJ1を目指せる可能性はあったかもしれない。でも、あまりにも現実的でなかった。だから、早い段階で他の道を模索し、そっちへ時間を費やすほうが最善と考えました」。嵜本は、いたってクールに当時を振り返る。

トッププロへの見切りのつけ方に透けていた成功する経営者としての資質

一度、トッププロの道へ手をかけた人間にとって、この決断は並大抵のことではない。少なくとも非凡な才能はある。周囲の期待もある。頑張れば可能性はある…。ましてや、まだ20代序盤。未練があって当然で、こうした“雑念”は簡単には拭い去れない。その意味では、いたって冷静に、自身の能力と立ち位置を客観視。迷わず判断を下したその時点で、すでに経営者としての嵜本の成功は約束されていたといえるのかもしれない。

Jリーガー人生に見切りをつけた嵜本は、スッパリ気持ちを切り替え、親兄弟が営むリサイクルショップを手伝うことから第二の人生をスタート。サッカー一筋だった嵜本にとって、現場で経験はすべてが新鮮だった。主にリユースの仕入れを担い、どんどんノウハウを吸収。朝から晩まで仕事漬けの日々だったが、のめり込むように業務に没頭した。

独立後、全開する経営者としての才覚

会社が大きくなり、2011年12月、兄弟それぞれが独立。嵜本は、「しっくりきた」というリユース事業を引き継ぎ、社長に就任する。SOUの創業だ。ここから嵜本は、ギアを入れ替えるように経営者としての才能を全開させる。商品を仕入れる買取店舗のクオリティアップ、業者向け販売へのシフト、LINEでの査定、海外進出、潜在客開拓アプリの開発…など、まさに矢継ぎ早に差別化施策を投入。激戦のリユース市場の中で、あっという間にその存在感を際立たせた。

上場時の会見で、未来図を語った嵜本代表

「SOU創業にあたって、競合に埋もれないことを強く意識しました。そのために新しいことに次々とチャンレンジし、付加価値を上げていきました。特に販売に関してBtoBへシフトしたことは大きな転機になったと思います」と振り返る嵜本。リユースといえば、消費者向けという印象が強いが、現場で常に鼻を利かせる中で、事業者向けの販売に大きな需要があることを肌で感じており、いける確信があった――。(後編へ続く)


<プロフィール> 嵜本晋輔
1982年、大阪府生まれ。関西大学第一高校時代、スカウトの目に留まり、卒業後、Jリーグ「ガンバ大阪」へ入団。佐川FCを経て引退後、父が経営するリサイクルショップでノウハウを学び、2007年にブランド買取専門店「なんぼや」を関西にてオープン。2009年に東京進出。2011年、株式会社SOUを設立し、同社代表取締役に就任。買取専門店「なんぼや」の他、「BRAND CONCIER」、BtoBオークション事業「STAR BUYERS AUCTION」、BtoC販売事業「ヴィンテージセレクトショップ ALLU(アリュー)」、「ブランドリセールショーZIPANG」、資産管理アプリ「miney(マイニー)」を展開するなど事業を拡大し、2018年3月22日、東証マザーズ上場を果たす。


【会社概要】
社名:株式会社SOU
設立:2011年12月28日
代表取締役社長:嵜本 晋輔
事業内容:ブランド・貴金属・骨董品等の買取及び販売
東京オフィス:〒108-0075 東京都港区港南1-2-70 品川シーズンテラス 28階
大阪オフィス:〒530-0011 大阪府大阪市北区大深町4-20 グランフロント大阪 タワーA 16階
URL:https://www.ai-sou.co.jp
資本金:2億5,560万円
従業員数:連結:383名 / 単体:321名(2017年8月末現在)
売上高    :連結:226億 / 単体:218億(2017年8月期)

リユース業界のパラダイムシフト狙う元Jリーガー社長の果てしなき野望

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Jリーガー脱落から15年で辿り着いた東証マザーズ上場という通過点

家業を拡大し、株式会社SOUを創業した嵜本晋輔代表。一国一城の主となり、経営者としての才覚を全開。矢継ぎ早の施策投入で、業界内にその存在を際立たせると、海外へも進出。さらなる成長をどん欲に追求し続ける。「買って、使って、資産に変える」――。日本人の消費スタイルの変革をもにらむその視線の先には、果てしない野望が広がっている。

現場重視ながらもワンマン並みのスピード感で急成長

事業者向けへのシフトで、在庫回転率を上げ、リユース事業の課題でもある、商品価値の目減りを解消。鋭い洞察力で安定した収益基盤の確保に成功し、嵜本は新たなチャレンジをしやすくする好循環を創り出した。矢継ぎ早の施策投入は、ワンマンでなければ出せないスピード感だが、同社はむしろ真逆。現場の声を重視するのがSOUの経営スタンスだ。

「自分の力はたかが知れています。人に頼るのが私の経営の仕方。適材適所で、その道のスペシャリストを的確に配置する。その判断や、企画、アイディア、消費者ニーズ等を考えるのが私のできること。幸い、人には恵まれているので、うまく回せています」と嵜本。この辺りは、プロで経験した個の能力の上限と個が結集し、チームとなることでさらなる力が引き出されることを身にしみて感じているがゆえのタクトの振り方なのかもしれない。

猛スピードで成長し、一気にマザーズ上場を果たしたSOU。もちろん、これは通過点に過ぎない。そもそも、これで安心する嵜本ではない。むしろ、一層気を引き締めながら、未来の構想をしっかりと頭に描く。「この先、思わぬ企業が競合としていきなり出てくることもありうるのが今の時代。当然まずは業界トップを目指していますが、常に進化していかないと埋もれていく。一方で、リユース市場にはまだまだ可能性がある。そこを追求していきたい」と嵜本は、力強く先を見据える。

リユース業界の頂点取りだけにとどまらない果てしなき野望

SOUが得意とするブランド品の分野は、リユース率が高いものの、それでも約10%。まだまだ伸びシロはある。それを推進するためには、社会全体の価値感を変えるようなインパクトも必要になってくる。「これまではモノを買って、使って、捨てるのが日本の消費サイクルでした。これからは、買って、使って、資産に変える。そんな世の中にしたい」(嵜本社長)。

野望実現への仕掛けは着々と進めている。潜在顧客開拓のために開発した資産管理アプリ「miney(マイニー)」は、商品画像と使用状況などから大よその買取価格を算出。さらに売り時をプッシュ通知で知らせる機能がある。ブランド品が押し入れに眠る消費者にとって、簡単にその価格推移が分かれば、売る気持ちにスイッチが入る可能性は高まる。メルカリの浸透などで、日本でも所有物を売ることへのハードルが下がっていることも追い風だ。

自分を“見限る”ことで辿り着いた社会人としての一つのクライマックス

感情に左右されず状況を冷静に見極める判断力、社会のニーズをくみ取る検知力、いいものはすぐ取り入れる実行力、優秀人材をひきつける人間力…この4つだけでも経営者としての嵜本は、十分な資質を備えているといえる。サッカーなら、ここにメンバーや監督との相性が絡んでくるが、トッププレイヤーならたいていは備えている。もしも嵜本が現役時代、泥臭くピッチで這いつくばっていれば、そこそこの成功は収めていたかもしれない。だが、それは嵜本が目指すJリーガーの姿ではなかった…。

社会人の原点、Jリーグ時代の経験は経営にも大いに役立っている

人生の大きな分岐点でスッパリと自分の“可能性”を見切った嵜本。社会人デビューでいきなり夢に近づき、同時に早い段階でその厳しさを痛感した。わずか3年のプロ生活。だが、その経験があったから今の成功がある。嵜本は心底そう思っている。

人生に敷かれたレールなどない。どう切り拓くかだけだ。「自分を信じろ!」。苦境に立つとそうやって檄を飛ばす人がいる。それも大事だが、本当の成功を手にするには、あえて“自分を見限る”ことも選択肢にある――。凡人には難しい判断だが、嵜本の成功プロセスは、現状から抜け出せず、悶々とする社会人の背を押すような、目からうろこの気づきを与えてくれる。

→前編→ガンバ大阪を解雇された男はなぜ、東証マザーズ上場社長になれたのか


<プロフィール> 嵜本晋輔
1982年、大阪府生まれ。関西大学第一高校時代、スカウトの目に留まり、卒業後、Jリーグ「ガンバ大阪」へ入団。佐川FCを経て引退後、父が経営するリサイクルショップでノウハウを学び、2007年にブランド買取専門店「なんぼや」を関西にてオープン。2009年に東京進出。2011年、株式会社SOUを設立し、同社代表取締役に就任。買取専門店「なんぼや」の他、「BRAND CONCIER」、BtoBオークション事業「STAR BUYERS AUCTION」、BtoC販売事業「ヴィンテージセレクトショップ ALLU(アリュー)」、「ブランドリセールショーZIPANG」、資産管理アプリ「miney(マイニー)」を展開するなど事業を拡大し、2018年3月22日、東証マザーズ上場を果たす。


【会社概要】
社名:株式会社SOU
設立:2011年12月28日
代表取締役社長:嵜本 晋輔
事業内容:ブランド・貴金属・骨董品等の買取及び販売
東京オフィス:〒108-0075 東京都港区港南1-2-70 品川シーズンテラス 28階
大阪オフィス:〒530-0011 大阪府大阪市北区大深町4-20 グランフロント大阪 タワーA 16階
URL:https://www.ai-sou.co.jp
資本金:2億5,560万円
従業員数:連結:383名 / 単体:321名(2017年8月末現在)
売上高    :連結:226億 / 単体:218億(2017年8月期)

経営者が働き方改革を決断する「トリガー」とは

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<働き方改革特別対談>
サイボウズ・青野慶久社長×マルハン・韓裕社長 【第二回】


働き方改革といえば、サイボウズ。いまでこそ、それを疑う者はいない。だが、2000年前後の同社は「ド・ブラック」だった。「改革」という以上、ドラスティックなハンドリングが必要になるが、全社員に影響の及ぶ「働き方」でそれを実行するのは決して簡単ではない。トップ対談第2回では、マルハン韓社長が、青野社長の決断の引き金に迫る――。

「変えるんだ」のスイッチが入るきっかけとは

改革を推進するリーダーにとって、大胆な舵取りの決断は難題。韓社長は青野社長の「そのとき」に切り込んだ

韓 当社は昨年、創業60周年の節目を迎えました。年数を重ねることで、保守的になったり、新しい考えを受け入れないようになると、その途端に崩れていく。変わり続けていかないといけない。その辺りを強く意識し、多少のリスクがあったとしても新しいものに挑戦する。そういう取り組みが必要だと認識しています。青野社長も3人で起業した当初は、寝る間も惜しんでご自身も倒れるくらいまで仕事をして、採用でもご苦労されたと思います。そこから「変えるんだ」と決断された決定的なきっかっけはどんなことだったのですか。

青野 それは2005年の離職率28%の時、これが一番大きいです。私が社長になったタイミングだったのでショックでしたね。4人に一人が辞めていく。これでは、いままでのメンバーを維持するだけでも大変ですよね。採用広告を出して面接をどんどんして、採用したら教育して、教育したらまた4人に一人が辞めて…。それを繰り返すわけですから、さすがに「人が辞めない会社をつくらないといけない」となりました。いま日本の会社が人手不足に直面していますが、私たちは2005年にそれに直面したんです。人がどんどん減って「会社が消滅するかもしれない」という恐怖を味わった。そこで、「辞められるくらいならワガママを聞いたほうがいいんじゃないか」と。切り替えができたのがそのタイミングですね。

韓 切り替えをされて、いろんな社員の課題を一つ一つ聞いていって、「変わっているな」という確実な手ごたえはあったのですか。

ホワイト化のプロセスで味わったジレンマ

青野 最初はイライラしましたね。「残業したくない」とか、ほんとにワガママばっかり言うので「ITベンチャーに入って、残業したくないとか意味わかんない!」って思いました。でもやってみると喜ぶ人が出てくる。それをひとつひとつやっていると、「もしかするとどんどんワガママきいちゃってもいいじゃないか?」と。副業がそうなんですけど、最初は「何でサイボウズで働いて他でも働くんだ?」って、浮気されているみたいですごく嫌でしたけど、やってみたら意外といいことがたくさんあって、外でどんどん人脈をつくってくるわ、いろんなノウハウ持ち帰ってくるわで。逆にいまは「どんどん副業しろ」と(笑)。

社員のわがままを一つひとつ聞いていったという青野社長の働き方改革に2つのルールがある

韓 自分ではそうじゃないと思っているが、一般的には「管理しないといけない」という意識があると思います。自由を管理するのと、自立を促してその代わりに自由度を高めるのでは、どちらかといえば後者のほうが効果があると思うのですが、そう切り替えるきっかけがなかったり、変えようと思ってもなかなか変えることが出来ない人は多いと思います。でもそこは思い切ってやるしかない、ということですか?

青野 ワガママを聞いていくと、カオスを生むリスクがあるわけです。在宅勤務を認めた瞬間から「ほんとに家で働いているのか?」とか。これを管理し始めると、多様化していくのに比例して、どんどん管理コスト上がっていく。副業しているなら、<何をやっていくら稼いでいるんだ>とか、在宅勤務なら<いつどんな成果物をだすんだ>とか…。多様化を進めながら同時にやらなきゃいけないのは、理念教育みたいなところだと思っています。この会社はどこを目指しているんだということですね。それに共感してもらう。共感してもらっていれば、どこにいても貢献してもらえる。逆に理念教育をしていないとカオスになる。だから多様化と理念教育はセットじゃないかと。これができるようなると管理コストは下がります。

韓 その通りだと思います。共感してもらうには「何に」がないといけない。だからマルハンでは、「業界変える」ということを打ち出す共感型採用を始め、共感者を集めて約3年をかけていろんな事を話し合い、手間暇かけて理念をまとめた「マルハンイズム」というものを従業員全員で作った。経営者じゃなく、自分たちで作ったものなので大事にする。以降、会社が拡大していく中で、従業員が体現し、語り手となって、後輩たちに伝え、急拡大に負けない理念経営が実現できた。青野社長が働き方改革のプロセスで作ってこられたいろいろな仕組みの中で、効果的だったことは何ですか。

多様化でカオスにならないための独自メソッド

青野 一つに絞るならば「問題解決メソッド」という共通言語ですね。個々がワガママを出していくと、「この人は望んでいるけど、この人は望んでない」ということが当たり前のように起こってくるわけです。こうしたいろいろな意見を建設的に議論の場に載せていかないといけない。ところが、日本人は議論に慣れていない。ディベートのトレーニングもされていない。なので、一歩間違うと「こんなこと言って嫌な感じ」という風に単に分断を生んで終わりかねない。それを避けたかった。だから「このフレームワークを使って事実と解釈を分離しましょう」ということです。解釈は「好き嫌い」とか「いい悪い」ですが、事実は「見たもの、聞いたもの」そのままです。事実は共有できるものなので、事実に注目すると感情的にならずに、あの人はこんなことに理想を感じているんだと建設的に議論できます。問題提起をして現実と理想を分け、ギャップを埋めるために議論をする。このメソッドを、入社してすぐ、最初の研修から全社員にトレーニングします。これを徹底していることで、どの部門の社員同士が議論しても同じように議論ができるんです。

韓 なるほど。事実と解釈、分かります。それはもともと学ぶ機会があって、今では社内で研修として確立されているということですか?

対談は、働きやすさの工夫が散りばめられたサイボウズオフィスで行われた

青野 私が考えたオリジナルでなく、他社研修のエッセンスを抜いて、サイボウズ流にまとめた感じです。多様化を進めていくときには、バックグラウンドが違う人同士が建設的に議論するインフラがないと議論ができない。結果的に多様化があだとなり分断を生む。だからメソッドは必須だと思います。あともうひとつはウソをつかないこと。当たり前のことですが、日本の会社はなかなか出来てない。財務省がウソつくぐらいですから(笑)。

韓 それは仕組化というか、「ウソをつかないようにしましょう」ということですか?

青野 小さなウソを見逃さずに徹底的にたたくということです。ここが緩むとまさに多様性を重んじた時、全然違う人たちと働く時に信頼のベースがなくなってしまう。意見は違うけどウソはついてない。「もしかしてウソをついているかも…?」だと本当かどうか心配で、在宅勤務もさせられない。サイボウズにはひとつ格言があるんです。それは<アホはいいけどウソはダメ>。

韓 素晴らしい! (第三回に続く

→ 第一回:事業の発展に、なぜ働き方改革が不可欠なのか
→ 第三回:働き方改革を推進する経営者の理想の立ち位置とは


【マルハンイズム】マルハンが目指すもの、マルハンらしさを現したもの。マルハンが大切にしている考え方をまとめている。心構え、企業姿勢、提供したい価値、組織としてありたい姿、従業員一人一人の行動規範、ビジョンについて、それぞれの思いが記されている。

【問題解決メソッド】さまざまな「問題」に対し、チームワークを生かして解決できるよう、起こっている「現実」や、望ましい「理想」に対し、事実と解釈を分けて状況を把握。その「原因」は何か、解決すべき「課題」は何か、を流れに沿ってロジカルに前向きに議論できるようにするための共通言語の定義とフレームワーク。


青野 慶久(あおの よしひさ)プロフィール
1971年、愛媛県生まれ。1994年に大阪大学工学部情報システム工学科を卒業後、松下電工株式会社(現:パナソニック株式会社)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。バリバリ仕事をこなしつつ、子どもの面倒をみる「イクメン社長」として話題になる。
サイボウズ: https://cybozu.co.jp/

韓裕(はん ゆう)プロフィール
1963年京都府生まれ。京都商業野球部在籍時、第63回全国野球選手権大会では準優勝を経験。88年法政大学卒業後、株式会社地産入社。90年株式会社マルハンコーポレーション入社、取締役に就任。95年プロジェクトリーダーとして「マルハンパチンコタワー渋谷」をオープンし、成功へ導く。取締役営業統括本部長、常務取締役営業本部長を経て、2008年6月代表取締役に就任、現在に至る。
マルハン: https://www.maruhan.co.jp/


働き方改革を推進する経営者の理想的な立ち位置とは

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<働き方改革特別対談>
サイボウズ・青野慶久社長×マルハン・韓裕社長 【最終回】

サイボウズでは、青野社長自ら育休を実践し、率先垂範でサイボウズ流を風土として定着させてきた。一方、マルハン・韓社長は経営企画部にダイバーシティ推進課を設置し、提言やサポートをバランスよく交え、改革を指揮している。特別対談最終回は、働き方改革を成功に導くトップのふるまい方について、陣頭指揮に立つ者同士ゆえの苦悩も交えながら、その理想の形を語り合った。

トップは背中を見せるべきなのか

働き方改革の成功には<トップが率先する>、が重要とされる。青野社長はその典型だ。なぜ、トップが率先することが有効なのか。トップが先頭に立つことで、どんな効果が生まれるのか。青野社長の実体験から得られた“エビデンス”は、改革に踏み切れない経営者の背を押すに十分な説得力がある。

率直に語り合った対談は時間を追うごとに熱を帯びた

青野 職場に育休などの制度をつくっても、現実にはなかなか最初に使うのは勇気がいります。短時間勤務も「ほんとにやっていいのかしら…」、という部分があると思う。そこで、私もなにかできることはないかとなった時にちょうど子供が出来たので「率先垂範だ」、と育休を取得しました。子育てはエラい大変でしたが、2人目、3人目の時になると、もうみんな私が子育てをやっているのを知っていましたし、毎日午後4時にお迎えに行っていると徐々に職場の空気も変わっていきました。「この会社、男性の育休も許される」と。制度だけでは表現できない「風土」によって、少しずつ男性の育児休暇取得が当たり前になってきましたね。

韓 自分自身がやってみないと分からないというのは分かります。

青野 そういうことをやっていると、女性社員も共感していろいろと教えてくれるようになり、雰囲気が変わってくるんですね。

韓 「社長も実際にやっているから私の気持ちを分かってくれるんだろうな」ということなんでしょうね。

青野 「戦友」と言われています(笑)。やはり風土は大事です。制度、ツール、そして風土。働き方改革を遂行するにはこの3つがセットと考えています。例えば在宅勤務制度をつくってもツールがなければ導入はできない。セキュリティ面、クラウドで情報共有されていて仕事の情報にアクセスできないと実践はできない。そして最終的には風土が必要です。在宅勤務をしてもかまわないんだよ、活かしてベストを尽くして働いてほしいんだ、と。そうしないとその価値観みたいなものは最終的には変わらない。習慣を変えられない。だから、この3つをセットで回していかないと、働き方改革はなかなか進まないですね。

韓 マルハンにおける風土というのは、企業としての組織理念である「マルハンイズム」に集約しています。それを仕組みに落とし込んでやっていますが、働き方改革としてみるとまだまだ十分ではありません。業界そのものも変わってきている中で、残業問題などが改善されつつある一方で昔の業界の慣習で戦ってきた人間は、「休め」といっても「何をしたらいいの?」と時間の使い方が分からない人がたくさんいます。

“刺激”を与えることで意識は変わる

青野 そうしたことに関してひとつ事例を挙げますと、社長室長の人間なのですが、彼は新卒で興銀に入社してエリートコースを歩み、サイボウズに転職してからは内部監査をやっていました。いわゆる典型的な“サラリーマン”でした。それで、「さらに成長しようと思ったらやりたいこと見つけて開拓していかないとね」となって、いろいろ考えて「副業やったら?」と提言したんです。すると「会社を辞めろってことですか?」と真顔で返すワケです。それで彼はいろいろ考えてトライした結果、弱い立場の人を助けるのが好きということが分かって、「とうとうやりたいことを見つけた」と。いま彼は2つくらい社会福祉法人の顧問をしています。初めて自分でやりたいことを見つけてやっているんじゃないでしょうか。なので、まさに昭和的でも、刺激を与えてやると何かを見つけるんです。むしろ、いまは人生100年時代といわれていますから、そういうことにもできるだけ早いうちにトライした方がいい。

韓 これまで休んでこなかったような人間は、どうしても休むことに罪悪感があるようですが、刺激を与えることで、やりたいことを見つけさせるわけですね。

率先垂範で働き方改革を推進した理由を語る青野社長

青野 私はどちらかというと「残業しろ」と言っていた人間でした。ですから、その当時を知るメンバーには、手のひらを返したような私の変わり様に「僕が子育てしているときにはそんなことを言ってくれなかった」と相当言われました。素直に「ごめん」と言いましたけどね(笑)。

韓 立ち位置の部分で言いますと、私は経営企画の中で直下の部署と働き方改革に関わっています。ですから、ポイントポイントできちんと会議に出席してメッセージを発信したり、新しい取り組みにチャレンジする「会社としてやる」という部分と、現場の意思を尊重し「見守る部分」。そのバランスをうまく考えながら動いているつもりです。

青野 働き方改革推進の理想は、やはり「現場のメンバーからどんどん」でしょうね。どうしても上からだとやらされ感がある。だから逆回転にする。ワガママを言わないやつが悪い。それくらい徹底しないとダメでしょうね。サイボウズでは(意見やワガママを)出すことを義務化していて、思っていたら出さなきゃいけない。酒場で飲みながら愚痴を言うのは卑怯者である。そこまで徹底して出せって言ったらワンサカ出てきた(笑)。

韓 マルハンの働き方改革では、一年目にまず、この働き方改革の取り組みのことを理解してもらうことからスタートしましたが、この2年だけでも現場や現場を束ねる人たちの意識もかなり変わってきたと実感しています。

働き方改革を成功に導く“極意”とは

青野 (働き方改革を推進する上で)小さな成功事例を見逃さないことは大切です。副業でも面白い人脈を切り拓いたら、その社員にスポット当てて社内に発信する。そうしてやっていると意識が変わってきます。とはいえ、サイボウズもなんだかんだで(働き方改革を実感するのに)5年くらいかかったかもしれません。最初5年は信じてもらえない。「あんなこと言っているけどホントにやるんですか」やら「残業代が惜しいから残業をなくすんでしょ」とかですね。なにせ、「ド・ブラック」からのスタートだったので、時間はかかりました。

働き方改革をけん引する経営者同士の対談は最後まで熱を帯びる濃厚なものに

韓 (働き方改革の実現は)積み上げいくものなので、いきなりはそこへは辿り着けない。でも、強い意識を持ちながらも試行錯誤でやってこられたのがよく分かりました。我々はスタートを切ったところですが、とにかくしっかりとしたイメージを持ちながら小さな事を積み上げていけばいいんだと確信しました。店舗で働いている人が輝きを失うと会社全体も落ちていく。さらにいえば、少し視点を広げ、サービス産業全体の輝きが世の中の元気につながるんだという思いを仲間とともに共有して前進していきたいと思います。今日この時間をいただいたことで、サイボウズさんがここまで真剣に取り組み、成果を出されていることを知ることができて良かったです。本当に素晴らしいと思いましたので、ぜひサイボウズさんを目標にして頑張っていきたいと思います。

青野 あくまで一例として(笑)。今日は私の方が勉強させて頂きました。やっぱりサービス業は面白い。これから大きく変わるなと。私たちはITでの後方支援しかできませんが、サービス業がすごく気になっています。韓社長のような経営者がビジョンを掲げ、この窮地を社会としてとして乗り切っていければ、サービス産業全体を革新していただけると期待しています。お役に立てることがあればいつでも呼んでください! (了)

第一回→ 事業の発展になぜ働き方改革が不可欠なのか
第二回→ 経営者が働き方改革を決断する「トリガー」とは
◇参考→ サイボウズの働き方


【ダイバーシティ推進課】
2015年より人事部内にダイバーシティ推進チームを組成、2017年に経営企画部内に新設された。働きがいのある職場づくりを目指し、さまざまな取り組みを実施。女性活躍をはじめ、人材不足の影響が大きいサービス産業の中で、多様な人材がスムーズに働ける環境・仕組み・きっかけを生み出し、さらには顧客への新たな価値提供も見据え、積極的にアクションを起こしている。


<取材後記>
IT企業とサービス業。ともに人材不足ながら、その深刻度では大きな“格差”がある2つの業種。働き方改革への本気度では共通する2人だが、対談がどんな展開になるかは未知数だった。蓋を開けてみれば、トップとして働き方改革に取り組む韓社長の熱い思いが、青野社長の多くの引き出しを開き、働き方改革を目指す経営者が参考にすべきヒント満載の濃密な内容となった。重要なことはなぜ、働き方改革をするのか。そこにビジョンがなければ、絶対に成功はない。加えて、取り組むモチベーションが極限まで高まっていなければ、形だけの改革に終わってしまうということだ。変化に対応できなければ、滅びる。常に進化を続ける――。小さなことの積み重ねの先にしか、働き方改革の成功はない。全身全霊で働き方改革に対峙するトップ同士だからこその思いがあふれる有意義な対談だった。

青野 慶久(あおの よしひさ)プロフィール
1971年、愛媛県生まれ。1994年に大阪大学工学部情報システム工学科を卒業後、松下電工株式会社(現:パナソニック株式会社)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。バリバリ仕事をこなしつつ、子どもの面倒をみる「イクメン社長」として話題になる。
サイボウズ: https://cybozu.co.jp/

韓裕(はん ゆう)プロフィール
1963年京都府生まれ。京都商業野球部在籍時、第63回全国野球選手権大会では準優勝を経験。88年法政大学卒業後、株式会社地産入社。90年株式会社マルハンコーポレーション入社、取締役に就任。95年プロジェクトリーダーとして「マルハンパチンコタワー渋谷」をオープンし、成功へ導く。取締役営業統括本部長、常務取締役営業本部長を経て、2008年6月代表取締役に就任、現在に至る。
マルハン: https://www.maruhan.co.jp/

感性重視のネイチャー経営でボード業界の変革目指す波乗り社長の信念

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株価より気圧。元プロサーファーの経営の舵さばき

波乗り中村時代はAI。経営判断までAIに任せることも可能な時代に、スマホ片手に風になびくように自由きままに日々を過ごす経営者がいる。元プロサーファーで、(株)H.L.NAの代表を務める中村竜氏だ。まさにネイチャー経営と呼ぶにふさわしい、感性重視の経営の舵さばきは、時代の過渡期に息詰まる企業のジタバタぶりとはあまりに対照的で、軽やかだ。

予定は未定。スマホ片手に自由気ままに飛び回る

1日の予定は常に未定。2週間に一度、ミーティングがあるが、それさえも波があるとわかればスライドされる――。経営者・中村のスケジュールは、あるようでない。それが実態だ。「これがあるから」とスマートフォンを示す中村が日課としていのは、気圧のチェックのみ。ビジネスパーソンが株価を気にしている間に、中村は自然の鼓動を気にかけながら海岸や海外を飛び回っている。

中村竜

まさに自由気まま。何かに縛られることなく、中村氏は感性を大事にしながら経営の嗅覚を研ぎ澄ましている。「社会的にこうしたほうがいいってことがあるけど、その通りにして本当にいい結果が得られるのかといえば、そうとは限らない。成功した会社のやり方を真似しても必ずしもうまくはいかない。だから、自分たちのルールを大事にしてブレないようにすることを大切にしている」と中村氏は明かす。

達観しているようなそのスタンスは、大自然と存分に向き合う中で培われた。「サーフィンは、海岸へ行っても波が来なければ乗ることができない。何もできないまま終わることもある。それも含めてサーフィン」。成功している企業が波だとして、それは波が来たから乗れたに過ぎない。同じ波には乗れないし、乗るために待っても来ないこともある。だからこそ、自分たちの信念や感性を信じるしかない――。

プロサーファーから経営者に転身した中村氏。その理由は「閉鎖的なボードスポーツの雰囲気を変えるため」だ。自身の経験も踏まえ、サーファーがプロとして活躍する土壌が未整備なことに課題を感じ、ならばより敷居を下げ、より多くの人に身近に感じてもらえる環境をつくりだそう。それを具現化したファーストステップが、ボードスポーツの世界では敬遠されていたeコマースへの参入だ。

中村社長「ボートの世界はやっている人のイメージとは少し違っていて非常に保守的。Eコマースは何かと理由をつけて否定するような空気でした。そうこうしている間に海外からダイレクトに乗り込まれて、ガラパゴス状態になりそうだった。そうした危機感も含め、雰囲気を変える意味でもeコマースに参入する必要があった」と中村氏は当時を振り返る。空気や数字じゃない。まさにサーフィンを愛する者としての嗅覚で、中村氏は前例のない一歩を踏み出した。

ボードスポーツをより身近にしたい。その思いは、雇用の面でも反映されている。「身近になるだけでなく、せっかくなら深く知ってもらい。だから、ボードスポーツ経験者をどんどん雇用している。そのことが、サーファーがサーフィンを続けていく上でのサポートにもなる」と中村氏。ボードスポーツでトップレベルまでいっても、リタイア後、全く別の分野へ行ってしまう人も多いという。こうした状況を憂う中村氏にとっては、会社はその受け皿としても意味もある。

「僕自身一線を退いてはいるけど、今も現役。それは常にサーファーと同じ目線でいたからという部分もある。辞めた途端コメンテーターなる人もいるけど、それではボードスポーツの本当のよさを伝えていけない」と自由奔放にみえる中村の頭は、ボードスポーツへの愛で満ちあふれる。だから、きままに飛び回るその先々でしっかりと足跡を残し、ビジネスの種を拾ってくる。

感性重視でブレない秘訣

感性重視のネイチャー経営。あいまいなようだが、その判断基準は、明確だ。ブランドの価値向上につながる、ボードスポーツの普及に貢献するが2本の柱。その象徴といえるのが、東京と静岡で展開するスケートパーク。12歳以下無料で、採算は後回しとなっている。一般的なビジネスの定石に従えば、有料は当然の判断。だが、目指すのはそのすそ野拡大。そこは絶対に譲れないラインとなる。

常識に縛られない奔放社長。ともすれば、そんな印象が強いかもしれないが、決してそんなことはない。中村氏が言う。「社員にも常に波の高い日はサーフィンのために休暇を取っていいよといっています。面白いことを追求して、そこで感じたことを仕事に活かしてくれる方が大事。社員がそうでないと僕だって自由にしていられないからね」。こうした広い視野とバランス感覚こそが、ブレずに突き進む原動力となっていることは間違いない。

ルールやノルマは会社に規律や厳格さをもたらすかもしれない。それが売り上げを推進することもあるだろう。だが、同時に社員の心身の疲弊という副産物ももたらしかねない…。働き方改革は、そうした弊害をなくしながら、より生産性を高め、自分らしく生きることを実現するためのもの。その解はひとつではなく、会社の数だけあるのが健全だ。

中村竜社長大きな自由と明確なビジョンが絶妙のバランスで釣り合うことで事業を推進する同社。2020年の東京五輪ではボードスポーツが正式種目に採用され、強烈な追い風が吹きつけているが、「何も変わらない」と全く浮かれない中村氏。前例やデータに振り回されながら、多くの企業が行き詰る中、沈着冷静でどこか楽観的にもみえるのは、自力ではどうにもできない自然を相手にしてきたからこそなのだろう。先が見えない時代の経営こそ、AIよりもこうした達観の方が、案外有効なのかもしれない。


中村竜(なかむらりゅう)
1976年、神奈川県鎌倉市生まれ。中学1年からはじめたサーフィンで、ジュニア大会で優勝。それがきっかけとなり、CM出演が決定。その際、スカウトされ芸能界へ。ドラマ出演するなど芸能活動をしながら、サーフィンも両立。2000年にはサーフィンのプロテストに合格する。2009年には株式会社H.L.N.Aを設立。小さなeコーマスからスタートし、現在は国内ゼビオスポーツ内に10店舗を展開するなど、着々と拡大している。





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